walking チョットずつ 琵琶湖一周 no.12
地図は、マピオンMapion滋賀県ページから検索するのが便利。滋賀県の琵琶湖研究所HPに琵琶湖の概要、近江八幡市HPに琵琶湖のあらましあり。
12回目(05年2月24日) 中庄〜今津〜安曇川
JR湖西線・近江中庄駅に9:22着。
左写真、駅の西には中庄の集落があって、屋根越しに湖北の雪山が見える。
線路をくぐって東に向かう。
(線路の下にはバイコロジー自転車道があった。)
右写真、田圃には雪解の水が溜まっていて、鳧がけたたましく鳴いていた。
左写真、白いサンダーバードが京都へ走っていった。
右写真、やがて湖岸に出る。日本の白砂青松百選に選定された「湖西の松林」の碑があった。
左写真、松林の道を歩く。
右写真、境川の河口。
(湖周道路の向こうには、貫川内湖があるはず。
左写真、境川の河口から続く湿地。
右写真、桂浜園地。
道標には、「左:貫川内湖、自然保護地0.3km、
右:浜分沼園地、今津浜0.4km」
左写真、浜分沼ハマブンヌマ。
右写真、今津浜の一段と立派な黒松。
左写真、小さいながらも曲がり方は老松並み。
右写真、石田川を浜分橋で渡る。
今津サンブリッジホテルHPのパノラマ写真の眺めは素晴らしいヨ。
左写真、住吉神社。ココで旧街道を西に曲がって、昼食会場の西友へ向かった。
昼食後、旧街道に戻る。
左写真、丁子屋。
300年近くも続く料理旅館で、鴨スキが有名らしい。
右写真、竹生島へ行く琵琶湖汽船の乗り場。
丁子屋のことは、俳句グループ「船団の会」のHPe船団の2003年1月19日の”日刊この一句”で坪内稔典氏が、大橋敦子の句「鴨鍋といへばかの店かの主」をとりあげての解説・鑑賞文の中で述べていたり、
ちょっと長めのエッセイの森HPの中でも2004年5月に丁子屋の鴨スキが書かれていたりする。
左写真、琵琶湖周航の歌の碑。
(近くには、琵琶湖周航の歌・資料館もある。)
右写真、おばあちゃんがやっている大福餅屋。善哉もあるが、木曜日は定休日だった。
左写真、二ツ石大明神。鳥居の下に竹生島が見える。
右写真、渇水時には100m沖に鳥居下に写っている石と同じくらいの岩が現れるとのこと。それが、条里制の基点にだったらしい。
左写真、木津コウヅ港の常夜灯が復元されていた。
この辺りは奈良時代から開けていて、古津とも表記されていた。
(古津に対して”今津”が後からできたのだろうか?)江戸時代にはココに小浜藩の蔵米屋敷があり、若狭からの蔵米・貨客(旅人・巡礼)を回漕していたとのこと。
右写真、新旭町・水鳥観察センター。
空にも水面にも水鳥がいっぱいだ。左は観察小屋。
左写真、刈り取ったヨシが立て掛けてある。このヨシはどうするのかな?
右写真、木道を歩く。
左写真、ココの木道は感じがいいなぁ。歩くのが気持ちイイ。
右写真、「天保の御救大浚え」の藤本太郎兵衛の像。
湖辺の村々を水害から救うために、琵琶湖から流れ出る唯一の川・瀬田川の浚渫の自普請を企画して、親子3代でやっと成し遂げたコノ辺りの庄屋だ。
左写真、新旭・風車村公園の風車とガチョウ。
右写真、新旭浜園地のうちの源氏浜を南下。
園地をさらに進み、安曇川・北流の新北川橋を渡って、安曇川・南流の船木大橋の手前の交差点を右折し、江若交通の路線バス停留所に到着。
暫し待って小型のバスに辛うじて全員が乗りJR安曇川駅に向かった。
満員のバスは船木大橋を渡り、安曇川の落ち着いた集落を通って、近江聖人中江藤樹記念館、藤樹書院、陽明園、藤樹神社など、高島市(旧安曇川町)出身の陽明学者・中江藤樹の記念施設を縫って走った。
【蛇足】 平成17年1月1日、旧高島郡の5町1村(マキノ町、今津町、朽木村、安曇川町、高島町、新旭町)が合併して、 滋賀県高島市が発足した。
(高島市の情報HP)