walking    チョットずつ 琵琶湖一周 no.13


地図は、マピオンMapion滋賀県ページから検索するのが便利。
滋賀県の琵琶湖研究所HPに琵琶湖の概要、近江八幡市HPに琵琶湖のあらましあり。

13回目(05年3月24日) 安曇川〜高島〜北小松

京都駅から湖西線に乗って、9時に安曇川駅に着いた。
江若交通(株)の安曇川町内を循環する路線バスで前回のゴール地点・北船木バス停に向かったが、発車時刻までは皆さん駅前で思い思いに過ごした。



左写真、安曇川駅(東口)前の公園にある中江藤樹像は駅に向かって座っている。
(逆光だったので、前からの写真はこちらのHPを見て下さい。)


右写真、「藤樹神社藤樹道・東十三町」と彫られていた。
(たとえば書道三体字典などで草書体の形を調べたが、藤樹道の「藤」ではと目星を付けている字には自信がありません。
そのうち、図書館に行って五體字類などを紐解いてみます。)




【安曇川の三角州】
現高島市(旧安曇川町)の湖西線・安曇川駅から東側のエリアは湖西の大河・安曇川のデルタである。航空写真地図で見ても確かに大きい三角州だ。
この安曇川デルタのために、湖西線から湖岸まではバスに乗る距離になっている。
そのことに興味を持ち、「安曇川、三角州」でWeb検索していて、”いこいのひろば”という中味の濃いHPに出会った。(2005/4/24)
その中の”世界紀行”の中の”日本紀行”の中に、八日市市出身の作者が2000年8月に故郷・近江を訪ねて、琵琶湖を反時計方向に回った”近江紀行”があり、琵琶湖をより知る上で大いに参考になった。
その幾つかは本ページにおいても紹介させていただきました。謝意を表します。

【琵琶湖のデルタ】
滋賀県の地図を見ると、東岸には、野洲川デルタ(日本最大級の湖成三角州)、姉川デルタ、愛知川デルタが目に付くし、湖西では、安曇川デルタが大きい。
そして、おもしろいことに、湖東の大河・野洲川にも北流と南流があり、湖西の大河・安曇川にも北流と南流がある。

【志賀の安曇アドガワ
安曇(阿曇)アヅミ氏は、金印が発見されて有名になった福岡市東区志賀島シカノシマを本拠とする渡来系海人アマ族で、志賀島の志賀海シカウミ神社の宮司さんは今も阿曇さんである。
そして和名類聚抄ワミョウルイジュショウによると、ココは昔、筑前国糟屋郡阿曇郷と呼ばれていたらしい。
この安曇氏ゆかりの地名、志賀安曇は全国的に広がっているが、海のない滋賀県と長野県に特に多いのはおもしろい(安曇族ゆかりの地HP)。


北船木バス停で降車後、東に進み、こどもの国(滋賀県社会福祉事業団が運営する県立びわ湖こどもの国)の前を通ってから南下し、船木大橋を渡る。


左写真、安曇川・南流に架かる船木大橋から上流側(北西方向)を写す。(旧道の本庄橋が見えている。)
下流側(琵琶湖方向)の写真はコチラ



右写真、金丸橋から北西方向を写す。安曇川の肥沃なデルタを流れる水路に水鳥たちが憩っていた。







左写真、蕗の薹を多く見つけた。



右写真、今在家集落の中心部から松ノ木内湖が広がっていた。
雪山は朽木スキー場の辺りだろうか。







左写真、横江浜の湖岸園地でうっすら薄緑の柳の新芽が春風にそよいでいた。



右写真、イヌフグリは満開だ。








左写真、鴨川勝野園地(横江浜)に寄せる波。前方の茂みは鴨川の河口。



右写真、ツクシンボウものびのびと伸びていた。








左写真、鴨川を渡る。



右写真、近江白浜の白砂青松。








左写真、白砂の白浜にも強い風波。
昼食休憩の高島は画面中央あたりか。
画面左端は白髭神社の山。


右写真、萩の浜の松林。







左写真、四高桜。この桜は多分、元々の四高桜だろう。
西方の比良山系には雪が残っている。


右写真、萩の浜ともココでお別れだ。








左写真、萩の浜から近江白浜を振り返る。


右写真、白砂青松も春の色だった。









左写真、四高桜の碑
昭和16年4月6日、全国学生漕艇大会に優勝した旧制第四高等学校(金澤大学)漕艇班選手8名と京大生ら3名が合宿練習を行い琵琶湖を縦断している途中、
比良八荒に遭って、ココの沖合で11名全員が湖に消えた。
一周忌に千本の桜が植えられて、四高桜の碑が建立されたとのこと。



右写真、情緒のある城下町・近江高島のメイン通りを南へ進む。





左写真、萩の露杉玉



右写真、びれっじ2号館の庭にできた石輪セキリン。








左写真、1本西の町並み。



右写真、大溝城の本丸跡の下萌え。 








左写真、乙女ヶ池



右写真、湖西線が白髭神社の裏山の高島トンネルに入っていった。








左写真、乙女ヶ池は大きい。
万葉歌碑も見かけたし、歴史のあるトコロらしい。



右写真、のどかな山里の田畑。サイクリング道が農道に沿って走っている。







左写真、日吉神社。 (なぜかココは2回通ったナァ。)
日吉神社の春祭は大溝祭と呼ばれ、湖西随一の曳山祭。


右写真、わかりにくかったが、ココから山道に入る。









左写真、虚子の門下の4Sの一人・高野素十スジュウの句碑。
素十らしい近景の客観写生句で、ココで詠まれたらしい。


師弟句碑として、琵琶湖が見える高台、四十八体石仏の右隣に建てられたいた。







左写真、鵜川四十八体石仏。16世紀半ばに彫られた花崗岩の大きな阿弥陀如来座像。



右写真、阿弥陀さん達の左手には苔むした小さな石仏が無造作に並んでいた。石面に彫られたお顔も定かではない。








左写真、白髭神社に向かう山道の椿が満開だった。


右写真、湖中に立つ白髭神社の大鳥居。
昭和56年(1981)に再建されたもので、高さ12m、本柱の間隔は7.8mあるという。







左写真、鳥居の向こうに拝殿、その奥に本殿がある。


右写真、拝殿の天井も立派だ。
現在の檜皮葺入母屋造りの社殿は豊臣秀吉の遺命によって、秀頼が片桐且元を奉行として造営したもの。

この白髭神社には源頼朝が鰐口を奉納し、室町時代には足利将軍もたびたび参拝したとのこと。




【白髭神社と高麗神社】
白髭シラヒゲ神社は全国各地に200社くらいあって、近江高島の白髭神社が総本社である。
そして、「白髭」は「新羅」の転訛で、白髭神社は新羅系とのこと。
なお、関東地方には、高句麗国の王族・若光ジャッコウ(高麗コマ明神)を祀る高麗コマ神社が多いらしい。
そして、白髭と名乗る神社の中にも実は高麗明神を祀ったトコロもあり、新羅系と高句麗系の渡来人は重層的だったようだ。
いずれにしても、朝鮮半島からの渡来人の人口比率は相当に高かったらしい。



左写真、与謝野寛(鉄幹)と晶子が夫婦で詠んだ歌の碑。
「しらひげの 神の御前にわくいずみ これをむすべば 人の清まる」
ココの本殿の脇に、清水が湧くらしい。




境内の上の方には、紫式部の歌碑もあるらしい。





左写真、芭蕉句碑が端っこにあった。
四方より 花吹き入れて 鳰の湖



右写真、エライ曇ってきた。前方の比叡は雨のようだ。サンダーバードが走っていった。







左写真、この辺り(鵜川地区)は比良山系からの山が出っ張っていて、覆道にしないと歩道が造れない。
覆道を通っているうちに小雨が降り出した。



右写真、北小松の漁港。







左写真、湖岸の集落の路から西に向かう。前方の信号で国道161号を横断し、湖西線・北小松駅に進んだ。


右写真、雨上がりの北小松駅からは釈迦岳がきれいだった。