walking    チョットずつ 琵琶湖一周 no.14


地図は、マピオンMapion滋賀県ページから検索するのが便利。滋賀県の琵琶湖研究所HPに琵琶湖の概要、近江八幡市HPに琵琶湖のあらましあり。

14回目(05年4月28日) 北小松〜小野


左写真、JR湖西線北小松駅のホームから見た、多分、釈迦ヶ岳(1060.6m)。八重桜がちょうど満開だった。



右写真、樹下ジュゲ神社の門前を通り、国道161号をかすめて、北小松水泳場に向かう。
ココ(北小松)の樹下神社には、唐の玄奘訳「大般若波羅蜜多経」600巻の版本ハンボン(南北朝時代)が残っているそうな。








左写真、有髪ウハツの僧が歩いて行った。



右写真、遅桜の下に祀られている石仏。








左写真、北小松水泳場。向こうには白髭神社の山が出っ張っている。



右写真、滝川を越えると、比良の山麓に豊かな田畑が広がっていた。








左および右写真は、舞子の白砂青松。
「月見浜」の石碑が建っていた。



琵琶レイクオーツカ、近江舞子駅、近江舞子ホテルの前を通って進む。







左写真、舞子の内湖には比良が映っていた。
バス釣りが静かに楽しまれていた。


右写真、見事な白藤。








左写真、内湖は雄松ヶ崎の内側にある。



右写真、琵琶湖八景「涼風・雄松崎の白汀」の碑。
石碑の右向こうには、もう水着姿の少年がいた。







左写真、近江舞子・南浜水泳場の白いビーチ。先端が雄松崎。



右写真、南浜水泳場の南。突き出ているトコロは比良川の三角州。国民宿舎があったナァ。








左写真、 ボーイスカウト初野営の地の記念碑があった。



右写真、比良川。いつもは水がない川のようだ。







左写真、比良川を越えて、さらに浜辺を歩いた。

右写真、湖岸沿いに通れる砂浜がなくなったので、集落の道に入ると、モリアオガエルのより小さめで真っ白の卵?があった。
水分が多く新しそうだが、この時季に卵を生むモノがいるの?
(ちなみに、樹上に卵を産むカエルは日本ではモリアオガエルだけで、下には必ず水面があるそうな。)


【アワフキムシ 泡吹虫】
右上の写真は実は、アワフキムシの幼虫の巣らしい。植物の新芽や茎に白い泡のかたまりを作って、その中に住み、植物の汁を吸うとのこと。
このことは、「教えてgoo」で、koumoriyaさんとaimu-girl29さんに教えてもらった。
http://eco.goo.ne.jp/nature/unno/diary/200005/957347889.htmlhttp://www3.ocn.ne.jp/~teachers/awafuki.html 、
http://www.ne.jp/asahi/rhyncha/index/sam/aphrsam.html 、http://www.fuji.sakura.ne.jp/~shin/gallerysemikame/awahuki.html



左写真、「天満宮御旅所」。
左手の広い道(参道?)は、(比良の)樹下神社まで北西方向に500m延びているが、地図上では天満宮は見当たらない。
ヒョッとして、天満宮=樹下神社?



右写真、湖岸には天満宮の鳥居が建っていた。
(鳥居額は外れていたが。)



【天満宮と樹下神社は隣り合わせ!】
大阪天満宮の復刻版「天神縁起」の【30】菅霊、江州比良の小児にまた託したまう図には、滋賀県志賀町北比良に太郎丸ゆかりの「比良天満宮」が鎮座しているとある。
たとえば、産経HPの見て見て関西に「近江国比良宮の神職の息子に神託が下り、正式に北野に社を建てたのが北野天満宮の始まりという」などと表現されていて、この話は定まっているようだ。
志賀町の観光情報に「比良祭(樹下神社・天満宮)」と記され、比良の里話の第一話に比良天満神社は、国道沿いにあって大きな古木があると書かれているので、
ヒョッとすると、この比良天満宮は比良の樹下神社と同一かも知れない思い、北比良の里通信HPの管理人様に思い切ってお伺いした。
すると、「比良天満宮と樹下神社は隣り合わせで、天満宮は北比良のお宮さん、樹下神社は南比良のお宮さん」と早速にご教示下さった。
隣り合わせの神社というのは面白いナァ、どういう歴史があるのかナァ、興味津々です。
それに、「比良の天満宮の太郎は我が家のご先祖様と村では伝えられています」とも教えてもらった。
菅原道真が大宰府で没したのが903年だから、少なくともソコまでは歴史を遡ることのできる村なのだ。

ちなみに、今日歩いた志賀町には樹下神社が多くあったが、そもそも樹下神社とはどういう神社なのだろう?




左写真、辛そうな唐辛子がヨウケ干してあった。


右写真、蛇口をひねれば比良からの伏流水が自噴していた。比良の主峰も近く、伏流水には結構な圧が掛かっているのだ。
風化の進んでいる比良花崗岩を通ってきた水はきれいだった。


前回歩いた安曇川地区では、たとえば藤樹書院跡に自噴井戸があり、前々回の新旭地区の針江では、自噴する井戸水が生活用水の中心になっているとのこと。
(これらは安曇川の伏流水だろうが、やはり比良からの水だ。)




左写真、垣根に囲まれた芝生地の隅に石碑があって、「樹下神社御旅所」と彫られている。
(天満宮御旅所から1,2分の距離。)



右写真、御旅所の前には古い木製桟橋の残骸が残っていた。昔はお祭りの時に、この桟橋も使われていたのだろうな。







左写真、比良山からの水は地上、地下を豊かに流れて琵琶湖に注いでいる。



右写真、大物部落水泳場の南国風のビーチ。
たまにはイイが、違和感がある。ココは日本だ。







左写真、道は一旦、湖西線まで出てから青柳水泳場のきれいな浜に向かう。



右写真、昼食休憩は青柳水泳場・南端の松の木陰。








左写真、水のない大谷川から上流の比良山系を写す。



右写真、青柳水泳場の向こうのピークは釈迦岳かな。
風波が結構強く、白い兎が波間に跳んでいた。







大谷川を越えて、松の浦水泳場へ。
左写真、松林が続いていて、そのすぐ向こうに湖西線が走っているはず。



右写真、志賀駅を過ぎ、大きな石灯籠を見て木戸集落を抜ける。
(ココでも国道161号の上の方に樹下神社がある。)





左写真、木戸川を渡る。
画面中央の蓬莱山?に雪が残っていた。


右写真、八屋戸浜で日差しを避けて休憩。
釣り人は小鮎を楽しんでいた。ココから暫くは砂利浜が続く。


蓬莱浜の南で国道161号に出て、コンビニに寄って水等を補給。





左写真、角の尖ったこわそうな般若の面の鬼瓦。


右写真、この寺は、天台真盛宗の真光寺。
(ココらは天台宗の範囲なのだ。)
天台真盛宗の総本山は西教寺
天台宗
は信徒は多くはないが、分派が変化に富んでいて面白そうだナァ。






左写真、和邇ワニ・中浜から和邇漁港を見る。



右写真、明治18、29年の琵琶湖水害(水位:9尺、12尺)の後、築かれた中浜の石垣沿堤。








左写真、石垣沿堤の前で鯉のぼりが翻っていた。
(背景の山々の名前はこのHPを見て下さい。)


右写真、南浜の青空にも大きな鯉のぼりが上がっていた。








左写真、通り過ぎた社。
「樹元神社」と読めるのだが、樹元=樹下かも知れぬ。


右写真、志賀町和邇には鯉のぼりが多いナァ。








左写真、老夫婦が代掻きをしていた。
手前の夫は頑張っていた。向こうの妻は適当にやっていた。


右写真、和邇川を和邇川下橋で渡る。







左写真、真ん中の大木の幹だけが祀られていた。
(向こうは琵琶湖)



右写真、苗が置いてある。今日から田植えが始まったようだ。






左写真、多分、機械での代掻き(荒代)は終わって、人力での植代を待っている田。



右写真、ココは田植えが終わっていた。







左写真、ビニールハウスの上にも鯉のぼりが翻る。



右写真、立派な祠の石積みの下に二等水準点があった。
(国道161号と交わるあたり。)





「ココから大津市」の標識が上がっている交差点を右折して、湖西線の高架をくぐり、ニュータウンのために新設された小野駅に到着。
琵琶湖の風物詩《小野妹子と一族ゆかりの地》HPに小野神社、小野篁神社、小野道風神社について紹介されています。


今日もいろんな花を見た。八重桜、菜の花から始まって、白藤、白い躑躅、白い豌豆、白い一八となぜか白い花が多かった。
いずれも、ほったらかしで半分野生化したような元気な花だ。その中でも一番印象的だったのは、やっぱり紫色の菫だった。

【スミレ】 photo by Miyake

左写真、蓬莱駅近くの八屋戸浜で砂利の地面のアチコチから生えていたスミレ。

右写真、ゴール近くの国道沿いにの舗装の端っこに生えていたスミレ。


スミレの種類は多く、 花の色も葉の形もイロイロある
今日のスミレは紫色で、細長い葉だった。
このスミレが一番落ち着くナァ。

 一般にスミレの茎は地上にはなく、葉と花茎は根元から出る。
 スミレの名前は花の形が、大工さんの使う直線を引く道具「墨入れ(墨壺)」に似ているからとのこと。コレは面白い!