walking    チョットずつ 琵琶湖一周 no.15


地図は、マピオンMapion滋賀県ページから検索するのが便利。
滋賀県の琵琶湖研究所HPに琵琶湖の概要、近江八幡市HPに琵琶湖のあらましあり。
近江富士を撮り続けている写真家・八田ハッタ正文氏の 『近江富士』HPはさすがにきれいで、琵琶湖一周カメラウォークもある。


15回目(05年5月26日) 小野〜唐崎

左写真、JR湖西線・小野駅。
京阪電車が開発した琵琶湖ローズタウンの駅で、国鉄からJRに変わってから新設された。
このニュータウンの北東部は志賀町(小野)で、他は大津市。



右写真、161号線を少し歩いて、真野川左岸へ。
静かなきれいな川だ。






左写真、川縁にあった箱根空木。
ハコネウツギはスイカズラ科、ウツギはユキノシタ科


右写真、道は、真野浜水泳場に突き当たる。








チョットだけ戻って、真野川の橋を渡る。
左写真、橋から上流側を写す。比叡山の奥の途中越、花折峠あたりを向いているのかな。



右写真は下流側。正面に近江富士(三上山)が写っている。






まもなく、道の駅・琵琶湖大橋米プラザ

左写真、米プラザの北側。


右写真、観光船の桟橋が2本もあった。
画面中央部・右は守山市のリゾートマンション群。
その左手の遠景に、長命寺の山が写っている。






左写真、琵琶湖大橋
大橋の根元をトンネルでくぐる。
(大橋の橋台の前は砂浜だった。)


右写真、止まったままでも大観覧車はランドマークだ。







左写真、伊豆神田神社。



右写真、堅田浦の村社といえど、千年以上の歴史のある、なかなか立派な神社だ。








左写真、画面中央右の大木は御神木で、樹齢400年の椋の木。手厚く養生されて、若葉が輝いていた。



右写真、田植えが終わったばかりの小さな田圃の向こうに琵琶湖大橋。








左写真、出島デケジマ灯台



右写真、今堅田の細い道で、立派なお葬式に出くわした。








左写真、本堅田の漁港。(画面中央左に照明灯)



右写真、湖岸から1本目の道を南下したが、古い町並みが続く。虫籠ムシコ窓が印象的だった。








左写真、国指定名勝の天然図画亭テンネンズエテイのある居初イソメ家(堅田三豪族の一つ)。


琵琶湖を借景に近江富士や湖東連山が見渡せる庭園(国名勝)と葦葺入母屋造りの茶室・天然図画亭(県重文)は是非見たいモノだ。


【堅田衆】
中世の堅田は、堅田衆と呼ばれる人々によって自治都市が築かれていた。
湖上を往来する船からの通行税で財力を蓄え、念仏門徒で団結力が強く、比叡山とも対立し、また、天下統一を目指す信長とも対立した。





左写真、居初家のすぐ先で、路地を通って湖岸に出る。



右写真、本堅田の漁港の防波堤の向こうに大橋が見えている。
(漁港の照明灯が写っている。)
居初家は防波堤の手前、左側のはず。






石畳の湖岸・遊歩道を三上山を見ながら進むと、「ヨシ群落保全区域」の表示板があり、
左写真の堅田港(観光船の桟橋)に出た。



右写真、堅田港から細い川沿いに西に入った所にあった民家。
(木彫りの額が上がっていた。)






左写真、細い川の立派なを渡る。


右写真、川の向こうは堅田(観光)港。









左写真、湖岸の公園に出ると、芭蕉の「堅田十六夜の弁」記碑があった。
コレは昨秋、探したモノの見つけられなかった碑だ。
こんなトコロにあったとは!



右写真、イチジクの木の下に漁船が置いてあった。
ココで、湖岸の遊歩道はなくなる。
堅田・浮御堂の唐門の前を通り過ぎ、狭い路地を抜け、湖岸の公園に着いて休憩。




左写真、公園の下から浮御堂を写した。



右写真、公園の南にあった「おとせの石」。
堅田出身のおとせは源氏の白旗を死んでも離さなかった。
おとせの腕が流れ着いたので、ココは「おとせの浜」と呼ばれているとのこと。
浄瑠璃「源平布引滝」には小万コマンと役名を代えて「おとせ」の物語が取り入れられているらしい。





左写真、浮御堂の南西にも港があって、ヨットが係留されていた。


この辺りから湖岸を離れ、東洋紡の研究所、社宅の前を通り、天神川(緑地)を渡って、


右写真、東に突き出た岬にある湖岸緑地(衣川)に着いて、昼食休憩。





左写真、ポプラの白い綿毛
綿毛が弁当を食った四阿の周りに一面に散っていた。
ポプラの綿毛だと教わった。


右写真、ポプラの木が沢山あった。

ポプラはヤナギ科で、ヤナギ科の木は綿毛(柳絮)を飛ばす。
北大のポプラ並木が有名だが、札幌では6月にポプラの綿毛が舞い、お隣の北京でも、柳絮は春の風物詩(4月中旬)らしい。





左写真、緑地の南東方向。


右写真、緑地の南西方向に比叡山が見える。



昼食休憩を終えて、国道161号を南下。





左写真、雄琴駅前から流れてくる雄琴川を越え、続いて仰木から奥比叡ドライブウェイへ繋がる北雄琴の交差点を渡る。


比叡山を正面右手に見ながら暑い国道を進み、左折、雄琴港に着く。


右写真、雄琴港の向こうに比叡が近い。






左写真、雄琴港の一番奥だった。
「SoapLand LOVE & BODY」と英語の看板が出ていた。


右写真は、その先の方の琵琶湖グランドホテル。



雄琴公園をチョット散策して、国道に戻る。




左写真、昔の雄琴の気配が漂う大正寺川沿いの風景。

浄化センターの広い敷地前など、狭い歩道を黙々と歩く。

ようやく左に入る道があり、

右写真、カネカも工場前を通過。




左写真、供所クショ神社。
正面の三角錐型の山は、日吉大社信仰の起こりである牛尾山(八王子山、小比叡)。農耕の始まった時代の地主神を祀る、降雨祈願の山らしい。
山頂近くに、牛尾神社の本・拝殿と三宮神社の本・拝殿がある。(共に重文)後世これらは麓に移され、牛尾社は日吉大社・東本宮に、三宮社は樹下神社になった。



右写真、供所神社は小さいが、祠も狛犬も立派だった。






左写真、柳の浜と言うらしい。
(秀吉がココから上陸したとオッちゃんが言うた。
唐崎神社の宮司さんに聞けば分かるらしいが、未確認。)


右写真、柳の浜?は自治会館と祠の間を入る。





左写真、若宮神社。日吉大社の社外百八社の一。
山王祭では、七本柳から唐崎までの船渡御を終えた神輿が、ココで下船し、日吉大社へ還御カンギョする。
鳥居の前のT字路に、『旧比叡辻』の道標があって、「旧西近江路と日吉大社・東本宮の旧参道が交わる辻で、そこに東本宮の祭神・小比叡神(大山咋神)が若宮神社として勧請されたことからきた地名。」と記されていた。



右写真、牛尾山から流れてくる大宮川。





左写真、観福寺(比叡辻地蔵尊)。


右写真、磯成神社。







左写真、広大なヨットハーバーを見ながら、旧・西近江路は歩道橋で国道161号を渡る。



右写真、専念寺。
画面左手の説明板によると、明治5年に我国の学制頒布があり、下阪本村では明治6年に「漣小学校」が発足。
当寺住職は最初の教員でもあり、寺子屋から学校の草創期に活躍した。






左写真、落ち着いた町家。


右写真、軒先にあった燕の巣。
親燕が餌を与えるスピードは速く、親は写せなかった。







左写真、坂本城址の碑。


右写真、碑の足下には石仏や卒塔婆が置かれていた。








左写真、七本柳の鳥居が見える。


右写真、町家の玄関先で見つけた自転車。








左写真、比叡から流れてくる四ッ谷川を渡る。


右写真、志津若宮神社。








左写真、唐崎神社。


右写真、唐崎の松








左写真、松の前から南を写す。
のっぽな建物は大津プリンスホテル。


右写真、門前のみたらし団子は木曜定休なのだ。







左写真、右手に全国市町村国際文化研修所という立派な施設を見ながら、JR湖西線・唐崎駅に向かう。


右写真、駅前の噴水に虹が出ていた。