チョットずつ熊野古道 no.2


No.2 枚方大橋(淀川)〜毛馬閘門〜中之島(大川) 07年4月5日  21km



左写真は、快晴の青空に映える枚方大橋。
7:40にスタートした。


右写真は、桁橋・淀川新橋の桁下から鳥飼仁和寺大橋のきれいな斜張橋を望む。 8:30







左写真は、鳥飼仁和寺大橋。1本柱の斜張橋。


右写真は、鳥飼大橋。 9:00
手前(上流側)に架かっている白く輝くアーチのニールセン・ローゼ橋はモノレールの橋。
続いて近畿道と中央環状線の橋が並行している。
最下流側のゲルバートラス橋(550m)は1954年に竣工し、全国初の有料橋として開通したもので、現在架け替え工事中





左写真は、豊里大橋。 9:30
右写真は、菅原城北大橋。 9:45

どちらも斜張橋で、大阪都市工学情報センターの景観HPによると、淀川中流域に架かるこの2つの斜張橋は、約20年のデザインの変化を見せていて、
左の豊里大橋:A型のがっしりした塔、2本の太いケーブルは力強さを強調している。
右の菅原城北大橋:2本の塔とマルチケーブルがスレンダーな姿を演出している。






左写真は、赤川鉄橋(城東貨物線の鉄橋)。 10:00
複線用だが、線路が敷かれているのは下流側の単線だけで、上流側は木製の歩道になっているユニークな鉄橋


右写真は、淀川水管橋。柴島浄水場からの送水管の橋。
水管橋の桁下に、淀川大堰、長柄橋、梅田の超高層群が見えている。 10:05





【毛馬の閘門】大阪市中心部を流れる淀川  =====================

毛馬の閘門を一度通ってみたいと思っていた。
尋ねてみると、最近、閘門利用の大型船が増えて、小型人力船の通航は安全管理計画を事前に確認できた組織等に限り許可しているとのこと。
今回は大学漕艇部と同時通航することでOKしてもらった。

毛馬閘門の通航申込書の書式pdfはコチラ

右は、国土交通省河川局HPから転載した写真で、淀川・新淀川を上流側から写したモノ。
画面中央の堰が淀川大堰。大堰の上流側が淀川、下流側は新淀川と呼ばれる。
画面左に見える水面が大川(昔の淀川)。大川へは、淀川左岸沿いに進み、毛馬閘門を通航する。
毛馬閘門の西(進行方向右手)に毛馬水門が隣接している。水門は淀川から大川への水の通り道で、通水中に、もしココに漕ぎ入れたら危険である。
毛馬水門のさらに西には、大川の水が増えたときにポンプアップして新淀川へ排水する毛馬排水機場が隣接している。
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左写真は、淀川大堰。(毛馬閘門への水路から写す。)



右写真、正面が毛馬閘門。
その右手の青いゲートは毛馬水門。
10:15





左写真、入口側の扉が上げられている。



右写真、いよいよ閘門に入るトコロ。







左写真は、閘門内で。入口の扉も下げられた。
大学漕艇部のボート2杯と一緒だ。
閘門の横には満開の桜が。



右写真、出口の扉が上げられて、いよいよ大川へ。
前方にも桜。
10:30



左写真は、毛馬橋。
橋の向こうには桜。



右写真は、阪神高速道路。

以下、「桜」は省略する。




左写真は、歩行者自転者専用の飛翔橋。
高速道路下を通すための空間的制限から二重アーチ構造の鋼トラス橋になっている。



右写真は、都島橋。






左写真は、前方中央に帝国ホテルとOAPタワー



右写真は、JR環状線の鉄橋。







左写真は、源八橋。



右写真、帝国ホテル向かいのスロープに着艇。
11:30






左写真、ボートと桜と帝国ホテル。
桜之宮公園の風景だ。


右写真は、大阪水上バス・アクアライナー
絶好の花見時で、観光船が非常に多かった。






左写真は、自転車・歩行者専用の川崎橋。
今日、4つ目の斜張橋だ。


右写真は、アクアライナー天満橋港。
さしずめ、現在の八軒家浜か。 (2階建ての橋は天満橋)






左写真は、中之島の最先端部。
架かっているのは天神橋。
右の堂島川に漕ぎ入った。

右写真は、前方は難波橋(ライオン橋)。
橋の手前の水路を通って土佐堀川に移る。
難波橋の手前右岸に着艇・上陸し、淀川舟旅を終えた。
12:00
(引き潮で水位が低く、着艇スポットが非常に限られた。)


中之島公園内でカヌー等を乾かして、ゆっくりと畳んだ。
蕎麦を食いたくなって、土佐堀通りを難波橋から東に歩き、花外楼の手前で蕎麦屋を見つけた。
先ほど通った堂島川と土佐堀川を結ぶ水路の真ん前の店だ。
川沿いの桜と行き交う観光船を見ながら、なかなかの盛蕎麦をご馳走になった。

その後、蕎麦屋に荷物一式を預かってもらい、熊野古道第1王子の窪津王子があったという坐摩イカスリ神社行宮に行って、舟旅40kmの無事の礼を述べた。

【坐摩神社行宮】
坐摩イカスリ神社は、今は中央区久太郎町4丁目にあるが、創建以来の社地は渡辺津・窪津と言われて栄えた淀川河口の港町にあって、秀吉の大坂城築城に際して多くの寺社とともに遷座させられた。
その地が坐摩神社行宮として残されている。熊野古道第1王子の窪津王子の位置ははっきりしないが、坐摩神社行宮の付近との説が有力とのこと。