チョットずつ熊野古道 no.5


No.5 南海・貝塚〜JR山中渓 07年5月16日   19km



南海貝塚駅から南南西に走り、JR高架をくぐってから左折。
道路の拡幅立体交差が竣工していて、少し惑うが、

左写真、福永橋で近木コギ川を渡る。

右写真、緩やかな長谷川ノ坂を上る。






左写真、南近義ミナミコギ神社。
ここに、近木王子と鞍持王子が合祀されているらしい。



右写真、相当オンボロの貝田橋を渡る。






左写真、貝田町会館と地車庫。
鶴原王子跡と言われている。



右写真、佐野王子跡の碑。






左写真、市場の道標。「すぐ和歌山道」、「ふどうみち」と彫られている。

関西空港自動車道の下をくぐる。

右写真、古い大きな家が残っている旧街道筋。







左写真、八丁畷地蔵。背景は長南中学校。



右写真、壇団右衛門バンダンエモンの五輪塔。

慶長20年(1615)大坂夏の陣で、壇団右衛門は豊臣方の先鋒隊を率いて熊野街道を南下し、和歌山城からの徳川方に突入、この地で討ち死にした。





左写真、「籾井王子(樫井王子)の跡」碑



右写真、街道沿いの重要文化財・奥家住宅。
奥家は南北朝時代から和泉の国の国人で、江戸時代は代々、樫井の庄屋を勤めたとのこと。






左写真、樫井川に架かる明治大橋。



右写真、「大坂夏ノ陣・樫井古戦場跡」の大きな碑。
明治大橋の手前左手に建っている。






左写真、明治小橋。



右写真、国史跡・海会寺カイエジ跡が広場として整備されている。
(この広場で休憩。近くのローソンで買った長万部駅の鮭飯あきあじめしを食った。)






左写真、海会寺跡に建っている一岡神社。



右写真、一岡神社の知恵ノ神。
取り敢えず、輪をくぐり抜けておいた。






左写真、信達シタチ宿本陣。
中世より熊野詣の宿駅として栄え、江戸時代には紀州徳川家の参勤交代の街道となり、本陣、旅籠など設けられたとの説明板があった。


右写真、熊野街道(小栗街道)案内板。コレはgood。







左写真、いい雰囲気の街道筋。



右写真、信達シンダチ王子跡に祀られている馬頭観音。






左写真、馬頭観音の前の道標にしたがい、左手の林昌寺へ向かった。



右写真、林昌寺山門。
この附近が長岡王子跡らしい。





左写真、林昌寺の山号は躑躅山で、躑躅の名所とのこと。



右写真、咲き始めの躑躅も清楚でイイ。


(山道を進んで少し迷ったので、JR和泉鳥取駅に出た。)



左写真、和泉鳥取駅前の石の鳥居。
波太神社の遙拝所らしい。



右写真、馬目王子跡の石。





左写真、山が近く、山中渓へ向かう渓谷は美しいが、
左手の「歴史の道・紀州街道」として整備された石畳を進む。


右写真、江戸時代の庄屋屋敷。






左写真、山中宿本陣跡地。
紀州公の休憩、昼食時の本陣。



右写真、JR阪和線山中渓駅。