チョットずつ熊野古道 no.6

No.6 JR山中渓〜和歌山電鐵・伊太祈曽イダキソ 07年6月4日 23km


左写真、JR山中渓駅から快適に走って、府県境の境橋。
右手にはJR阪和線の鉄橋。上には和歌山県の看板。
左手では、阪和道の橋脚耐震補強工事をしていた。 9:20

右写真、踏切を渡って、滝畑集落へ入る。
画面右に中山王子跡を示す石と青い説明板。





左写真、山中川に添って人家がいくつか見える。



右写真、街道に戻り、雄ノ山峠を越えて下り始める。
右手には阪和自動車道のブリッジ。





左写真、「峠の不動明王さま」の祠。
ただし、不動明王像はなく、石と絵が置かれていた。



右写真、眼下に紀ノ川が見えているはず。
画面中央にはJR線路が右に大きく曲がっていく。




左写真、山口王子跡。
(昭和39年開通のバイパスを通らず、左の旧街道を進み直ぐ。)


右写真、小野小町の墓(中央の丸い石)と伝わっている。







左写真、多分、田植機で植えた後、田の端っこ部分にチャンと苗を植えるのはお婆ちゃんの仕事のようだ。
小町の墓はこの画面の右上にある個人墓地の中の無縁仏の中にあった。

粉河寺への道路標識のあるT字路を過ぎる。)


右写真、なかなか風格のある古い家。




左写真、墓地の中に建っている「右、加太淡嶋神社道」の道標にしたがって道を曲がる。



右写真、雄山川の脇にある役行者像の祠。







左写真、曲がり角にある山口神社の石鳥居。山裾の氏神様に向かう大らかな鳥居だ。
(県道粉河加太線へ出る手前)


右写真、川辺カワナベ王子旧跡。
昔は紀ノ川がこの附近を流れていたらしい。





左写真、上野から神波コウナミへ農道を進む。

(神波自治会館の角で曲がって、)

右写真、中村王子社跡の説明板。






左写真、力侍神社の参道。



右写真、力侍神社の本殿。


(国道24号線を渡って直進。)



左写真、川辺カワナベの小川に面する古い家。



右写真、
その家の南西角の道標に「左、北大坂みち」とあった。


(道標の西の道を南下する。)



左写真、紀ノ川の堤防に出る。



右写真、
少し西にある川辺大橋。






左写真、川辺大橋から下流(西)側を写す。



右写真、
JR和歌山線の布施屋ホシヤ駅。 12:00


(布施屋駅前の自販機でビールを求め、助六弁当を食う。)



左写真、吐前ハンザキ王子跡。



右写真、
川端王子跡。左の道を進む。



井ノ口集落に入り、「みやいばし」手前で川沿いに右折する。


左写真、川に階段が造られている庭。後は高積山



右写真、
旧中筋家住宅は大掛かりな保存修理工事中だった。






左写真、和佐王子跡。



右写真、
江戸時代の弓の名手で、三十三間堂の通し矢の記録を打ち立てた和佐大八郎範遠ノリトウの墓。






左写真、矢田峠の階段道では自転車を担ぐしかない。


(明王寺配水池に出て、右に下る。)


右写真、
快適な下り道。
降りてゆくと、みかん畑に小さな固い青い実ができていた。



左写真、里では今日は田植え日和だ。



右写真、
観音寺。






左写真、平尾自治会館前の平緒王子跡。



右写真、
伊太祁曽神社の一の鳥居。
伊太祁曽イタキソ神社
は紀伊国一の宮
で、伊太祁曽イダキソ駅から直ぐの便利な立地である。





左写真、伊太祁曽神社二の鳥居。朱いのは太鼓橋。


右写真、
伊太祁曽駅構内の踏切を渡ってプラットホームに向かう。
14:56

和歌山電鐵(株)は2006年4月に南海電鉄から和歌山駅と貴志駅を結ぶ貴志川線の運行を引き継いだ鉄道事業者で、岡山電気軌道が100%出資する子会社。本社は伊太祁曽駅構内にある。




鐵と鉄の字】
「鉄」の旧字体「鐵」が「金・王・哉」に分解できることから、本多光太郎は「鐵は金の王なる哉」と評した。
しかし現行字体では「金を失う」となるため、和歌山電鐵や大井川鐵道では、旧字体の「鐵」を使用しているそうな。