チョットずつ
熊野古道
no.12
No.12
JR
紀伊田辺
〜
鮎川
08年03月29日 22
km
所要時間 :
1
時間
57
分 乗継 :
0
回 金額 :
4,910
円
08:01
天王寺
[117分]
特急くろしお1号
乗車券
2,520
円
指定席
2,390
円
09:58
紀伊田辺
左写真、紀伊田辺までは天王寺から特急で2時間弱。
近いものだ。
右写真、天王池前の須佐神社本殿。
ココに万呂王子が合祀されているそうな。
左写真、橋を渡って、左会津川の右岸を走る。
右写真、梅林の中に万呂王子跡の碑があった。
左写真、もう、小さいながら堅い梅の実を付けていた。
(本日、梅の実を付けていたのはコノ梅の木だけだった。)
右写真、三栖ミス廃寺塔跡。
三栖廃寺は、奈良時代前期(白鳳時代・7世紀後半)の創建とされ、法隆寺伽藍配置で、寺域は方一町(約1km四方)と推定されている。
基壇上には自然石の心礎が残っていて、ここに三重の塔が建っていたといわれる。平成16年に塔基壇が復元された。写真左の瓦積み基壇の上に心礎が見える。
左写真、左会津川を渡って、いよいよ、丘の道になる。
桜が迎えてくれた。
右写真、桜が満開だ。
左写真、前方の桜がなかなか見事ではないか。
右写真、三栖王子跡には椿が咲いていた。
左写真、梅林の向こうに紀伊の山々が広がっている。
このすぐ側に
「南方熊楠山中裸像撮影場所」の案内板
があった。
(明治43年1月にココ岡越えの途中で撮った写真)
右写真、山道を降りる。
左写真、八上ヤガミ王子跡の八上神社。
右写真、
西行物語絵巻に八上王子が描かれて
いるので、歌碑があった。
左写真、レンゲの向こうに
田中神社
。鳥居の右上に見える藤の幹が多分、南方熊楠が命名したオカフジ。
(ココで弁当を食った。)
右写真、中央の幹は別の
オカフジ
。
背景の椿の大木には赤い花が咲いていた。
左写真、稲葉根トンネルの上を越える山道ルートは今までの古道で一番分かり難く、きつかった。
右写真、自転車もかわいそうだったが、ココは序の口だ。
(山道を下ると、犬が2匹尾っぽを振って吠えて歓迎してくれた。)
左写真、稲葉根王子宮(岩田神社)。
右写真、岩田神社の本殿は、元の稲葉根王子社の本殿とのこと。
左写真、富田川(岩田川)の水垢離場跡にコンクリートの石段が整備されている。
右写真、市ノ瀬橋から上流側を写す。
右手前の小さな山を越えてきたのだ。
左写真、富田川の河川敷に菜の花の群生を見つけたので、ちょっと寄り道する。
右写真、暫し春を満喫する。
少し戻って、
左写真、畦道を通って、一ノ瀬王子への道を走る。行く
右写真、一ノ瀬王子跡。
左写真、加茂橋を見て、次の鮎川新橋を右岸に渡り、鮎川王子跡を訪ねる。
右写真、鮎川新橋から上流側を写す。
左写真、住吉神社の第三殿。鮎川王子の社殿が残っているそうな。
右写真、住吉神社の裏山のおがたまの樹。
左写真、道から少し登ると、御所平。後白河上皇の宿舎跡らしい。
右写真、御所平の上に祀られている薬師如来。
昔から耳の病になると、穴の開いた小石を供えて、お参りすると書いてあった。
左写真、のごし橋の袂にあった藤原定家の歌碑。
右写真、のごし橋から下流側を写す。
左写真、のごし橋からの道は楽しそうだ。
右写真、狭い古道脇の道祖神と庚申塚。
左写真、富田川左岸山腹の道を進む。
右写真、下は念仏淵あたり。
左写真、前方に新しい橋が見える。名前は不明。
この橋の上流側の古道上り坂道で、愛車BD-1のハンドルステムが折り畳みレバー台への溶接根元でポッキリと折れてしまった。
やむなく自転車を畳んで持ち帰ることにした。
右写真、名前不明の橋の上から上流側を写す。
橋を渡り、右岸の
道の駅ふるさとセンター大塔
に向かった。
幸い、JRバス鮎川温泉駅がすぐ近くだった。
左写真、バス停の前が(後白河法皇持病の頭痛快癒の話が伝わる)念仏淵だった。
私は淵に向かって、BD-1の骨折だけで済んだラッキーを感謝した。
右写真、念仏淵の桜がきれいだった。
愛車BD-1のハンドルステム骨折の原因は金属疲労ではないかと思う。体重の半分くらいの荷重が振動を伴って9年間掛かり続けたのだから。
でも、古道の柔らかい土の緩やかな登り坂のお陰で掠り傷一つ負わなかったのはホント幸いで、熊野古道の神様の加護を感じた。
本日引き返したのは、田辺市鮎川の古道上で、JRバス鮎川温泉駅の北東約300m地点であり、滝尻まで5kmを残している。
しかし次回は予定通り、滝尻から徒歩で進むこととし、本日未達成の5kmは記念にお預けにしたい。