チョットずつ熊野古道 no.13


No.13 滝尻 〜 近露 〜 水呑王子  2010年10月27〜28日 57km

冒頭に、今回の歩きの軌跡map(by ハンディGPSマップ ASG-CM11)を示す。
青線が1日目(滝尻〜近露)、赤線が2日目(近露〜水呑王子)である。雨天で本宮大社までは行けなかった。
flagはスタート地点の滝尻王子と宿泊地・近露に立っている。
map上端右の果無山脈が高原あたりから遙かに見えていた。




【アプローチ】

天王寺 8:00発 → 特急くろしお1号(新宮行) → 紀伊田辺9:59着
 金額:4,200円 (運賃2,520円 自由席特急券1,680円)、156.8km、所要時間:1時間59分

紀伊田辺10:25発→滝尻11:03着  (明光バス)


左写真、紀伊田辺駅。
(車中で買った駅弁を明光バスの待合所で食い、早昼を済ます。)


右写真、駅の右手の弁慶広場の弁慶像。




以下に、車窓からの写真を3枚紹介する。




左写真、「稲葉根王子は300m右」の案内標識が左端に写っている。
稲葉根王子宮(岩田神社)は前回(第12回)に稲葉根トンネルの上の道無き山道を越えて訪ねている。


右写真、鮎川王子の手前あたり。
富田川に架かる前方の橋は鮎川新橋。
前回は川の対岸の古道を自転車で走った。







左写真、清姫の墓あたり。
(実はこの辺りは自転車破損事故で唯一パスしているトコロだ。)



右写真、滝尻でバスを降りた。
富田川に架かる滝尻橋を渡り、まず画面の右にある熊野古道館を訪ねた。
(滝尻王子は画面左手)




【1日目】 滝尻〜近露  22km(GPSデータによる)

GPSによる1日目の速度高度グラフ


【時間データ】
所要時間は、11:15発、17:15着で、6時間だった。
ちなみに、山と渓谷社「熊野古道を歩く」では、13km、5時間15分である。(但し、立ち寄り・休憩を含まず。)
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左写真、滝尻王子。 11:15
五体王子の一つだ。



右写真、社殿手前に、宝篋印塔と笠塔婆
この笠塔婆
は、かつて中辺路から熊野本宮までの1町(約109m)ごとに300本立てられていた熊野三百町石の後身と思われ、大門王子、大坂本王子、箸折峠(笠の残欠のみ)、伏拝王子にも現存している。






左写真、胎内くぐり。
ココから入る。


右写真、出口は一層狭かった。
ザックは通せなかったので、後から取りに戻った。


乳岩のお地蔵さんを拝み、急坂の先を急ぐ。





左写真、不寝王子。



右写真、道は急だ。









左写真、剣ノ山経塚跡。
ここから熊野本宮にかけて九品の門が建ち、ここには最初の下品下生の門があった。
経典を経筒に入れ(常滑製の)壺に納めて、地中に埋めた。
滝尻王子の社前にあった笠塔婆は、元はこの経塚の上に立っていたらしい。


右写真、紅葉が少し初まっている。







左写真、快適な道だ。



右写真、前方に小高い山が見えて、ほっとする。高原の方向か。









左写真、針地蔵。



右写真、NHKのテレビ塔(栗栖川テレビ中継放送所)。









左写真、夫婦地蔵として2体並んで祀られ、大きな団栗と小さな団栗が供えられていた。



右写真、月岡さんちのカッコイイ門の前を通る。









左写真、高原谷からの眺めはよい。
ススキが見頃だ。



右写真、眼下に富田川沿いの集落が見える。








左写真、高原熊野神社。
春日造の本殿は室町時代前期の様式を伝え、中辺路における最古の神社建築とのこと。


高原霧の里休憩所で着替える。


右写真、画面右手の瓦屋根の家の上辺りが果無山脈。(遠景の薄い山並み。)






左写真、休憩所の下の水車小屋。



右写真、水車小屋の中。









左写真、旧旅籠「亀屋」。
この辺りには「なかへち」と書かれた提灯が吊されていた。

坂道を上っていく。


右写真、石畳の道が気持ちいい。







左写真、この平地は昔は棚田。
もう少し上まで人家がある。
こんな見晴らしのよいところに住んでいる人がいるのだ。



右写真、大日さんと庚申さん。







左写真、一里塚跡。



右写真、古道を進む。









左写真、高原池。


右写真、大門王子跡。
昔、熊野本宮の大鳥居があり、その付近に王子社が祀られたのが名前の由来。
天仁二年(1109)、熊野に参詣した藤原宗忠は、この付近の水飲の仮屋に宿泊しており、建仁元年(1201)に参詣した藤原定家も、この付近の山中で宿泊している。








左写真、上りは続く。



右写真、ココからの景色も素晴らしい。
遙か遠景に果無山脈も見える。








左写真、重點(十丈)王子跡。
重點王子の名は、建仁元年(1201)十月十四日、後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家の日記に初見。
江戸時代以降、十丈峠、十丈王子と書かれるようになった。


右写真、小判地蔵。
旅の途中、嘉永7年7月18日にココで亡くなった人の供養に建立されたお地蔵さん。







左写真、悪四郎屋敷跡。
悪四郎の”悪”は、勇猛で強いという意味である。
江戸時代の「熊野道中記」の十丈の項に「むかし十丈四郎と云者住みし処なり」とあり、それがココだと見られている。
背後の山が悪四郎山(782m)で、約30分で登ることができる。


右写真、一里塚跡(和歌山より25里)







左写真、上田和茶屋跡。
熊野詣の盛んな頃はここに茶屋もあったといわれ、大正期にも人家があって林中には三界万霊塔やお墓もある。
ココでゆっくり休憩し、アンパンを食う。


右写真、小判地蔵あたりから続いた中辺路で最も標高の高い(700m近い)区間を過ぎて下り始める。








左写真、右手前方に三体月伝説説明板。
右の道を上ると、三体月鑑賞地へ。
左の道を下って、大坂本王子へ向かった。



右写真、どんどん下る。






三体月伝説説明板:
今は昔、熊野三山を巡って野中近露の里に姿を見せた一人の修験者が、里人に曰く
「わしは十一月二十三日の月の出たとき、高尾山の頂きで神変不可思議の法力を得た。村の衆も毎年その日時に高尾山に登って月の出を拝むがよい。月は三体現れる。」
半信半疑で村の庄屋を中心に若衆連が、陰暦十一月二十三日の夜 高尾山に登って月の出を待った。
やがて、時刻は到来、東伊勢路の方から一体の月が顔をのぞかせ、アッというまにその左右に二体の月が出たそうな。 
なお、三体月の伝説は上多和、悪四郎山槇山にもある。

左写真、大坂本王子跡。
大坂(逢坂峠)の麓にあるのが名前の由来。
写っている笠塔婆は鎌倉時代後期のもの。
建仁元年(1201)に後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家は、十月十四日にこの王子に参拝している。



右写真、道の駅”熊野古道中辺路”を横目に見て、先を急ぐ。






左写真、一里塚跡も暗かった。


右写真、牛馬童子像と役の行者石像。
画面右の暗闇の中に宝篋印塔(鎌倉時代と推定され、県指定の文化財)があるはず。
なお、童子像は明治24年頃に作られたらしい。
箸折峠のこの丘は、花山法王が御経を埋めた処と伝えられる。







左写真、近露の集落。
画面左手に煙が上がっているトコロが今日の宿。温泉を薪で焚いているそうだ。



右写真、暮れなずむ日置川を渡る。
ココでも温泉の煙が見える。







左写真、”民宿ちかつゆ”が温かく迎えてくれた。到着は17:15。

まず、ちかつゆ温泉ひすいの湯にじっくりと入る。なかなか濃くてまったりとしたイイ湯であった。

なにはともあれ、ビールで乾杯。
アマゴ唐揚げが旨かった。(そうそう、アマゴの炊き込みご飯も旨かった。)
温泉の湯の鍋物も実に旨い。コトコト炊いているうちに温泉の湯に豆腐の表面が溶け出す。角のとれた豆腐のまろやかなこと。白く濁ったお湯もコクがあり、どんどんいける。

熊野古道の歩きはもちろん、熊野川のカヌー下りについても適切なアドバイスをもらって、大満足。




【2日目】 近露〜水呑王子  35km(GPSデータによる)

GPSによる2日目の速度高度グラフ


【時間データ】
所要時間は、7:25発、16:10着で、8時間45分だった。
ちなみに、山と渓谷社「熊野古道を歩く」では、18.4km、6時間30分である。(但し、立ち寄り・休憩を含まず。)
(本宮大社までなら、24.4km、8時間)
雨のため、滑らないようにと、特に石畳・石段の下りは慎重だったので、大分時間を喰ってしまった。
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前日の予報通りに、雨だった。
7時20分くらいに宿を出て、まず近露王子に参拝。(昨夕にも寄ったが、真っ暗で何も見えなかったのだ。)

【近露王子】
建仁元年(1201)十月、後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家の日記によれば、滝尻についで、近露でも歌会が行われている。定家は、川を渡ってから、近露王子に参拝しているので、上皇の御所は右岸にあったようだ。
承元四年(1210)、修明門院の参詣に随行した藤原頼資の日記でも同様で、女院は四月二十九日に宿所に着いて、「浴水・禊」をし、翌五月一日に王子社に参拝している。このように、近露では宿泊することが多く、川水を浴びた後、王子に参拝するのが通例であった。


左写真、近露王子之跡。 7:25
碑の文字は、記名はないが、大本教主・出口王仁三郎オニサブロウの筆跡。


右写真、野長瀬一族の墓。
野長瀬氏は古くから近露を治める一族。元弘の乱で熊野に落ち延びてきた護良親王を救った。墓は、地中に埋まっていたのを掘り起こしたらしい。
宝篋印塔6体の後に五輪塔55個が整然と並んでいる。







左写真、近野小学校。
時計は7時55分を指していた。



右写真、近野中学校の手前で高い石段の上に鳥居が見えた。この地の氏神さんだろうか。








左写真、通学する中学生に出会ったのみ。



右写真、道端の石仏。









左写真、小雨の山も風情がある。



右写真、上りがずっーと続く。









左写真、いろいろと祀られている。
左端のには「月待供養塔」と彫られていた。



右写真、雨の舗装道路を進む。









左写真、右下には中辺路町野中の集落が見える。



右写真、アザミを昨日も今日もよく見る。









左写真、比曽原王子跡。


右写真、野中伝馬所の跡。
テンマという屋号で呼ばれていた所。
伝馬所は、紀州藩が熊野街道に設けた役所で、官吏の通行の便をはかり、公用の文書や荷物を逓送した。

伝馬所の前に下に降りる急坂がある。降りると車道に出て、野中の清水が近い。






左写真、野中の清水。
日本名水百選に選ばれている。


右写真、水量も豊富だ。
コップに一杯いただく。


急坂を上って、上の古道に戻る。





左写真、継桜王子社。



右写真、参道石段両脇の杉の大木。
神社合祀令によって明治44年に約30本の杉・檜が伐採されたが、南方熊楠の反対運動で9本が残された。
樹齢800年だそうだ。







左写真、継桜王子の社殿。




右写真、野中の一方杉と呼ばれるように、枝は全て南方角(那智山の方角)を指しているそうだ。確かに。








左写真、とがの木茶屋。



右写真、秀衡桜。
藤原秀衡が滝尻の乳岩に置いてきた子の無事を祈って桜を折り、別の木に挿したという伝説が残っている。








左写真、安部晴明の腰掛石。
安部晴明が熊野を巡る途中、この石に腰を掛けて休んでいると、上の山が急に崩れそうになったが、晴明の呪術によって、崩壊は防がれたそうな。
(我がチョットずつ熊野古道 no.3で、安倍晴明神社に立ち寄ったナァ。)


右写真、中川王子跡下の案内板。








左写真、標識にしたがって、山道を登る。笹が「行くな遠いよ」と言うように道にはみ出していたが、折角だからと登ると100mくらいあったかな。


右写真、中川王子跡だが、暗くて見えませんね。スミマセン。
(昔の古道はココを通っていたはずだ。)









左写真、進行方向左手に新高尾トンネルがある広い三叉路に出た。



右写真、三叉路に四阿があった。10:10。
昼飯は三越峠の休憩所の予定なので、大分遠い。
ココでお八つタイムにする。乾パンとチョコレート。
民宿で保温水筒に入れた温かいお茶がご馳走だ。






左写真、小広王子跡の説明板がバス停のトコロにあった。


案内にしたがって、雨の中をどんどん進む。
川を渡る。四阿もあった。暗い山道に入る。


右写真、小さな祠の中に石仏が祀られていた。人家から遠いところなのに花も飾られていた。






左写真、熊瀬川王子跡。



右写真、王子跡に残っているのは宝篋印塔の一部分か?









左写真、一里塚跡。


熊瀬坂を上る。


右写真、草鞋峠を越えて、女坂を下る。







左写真、栃ノ河トチノゴウ(”栃の川”とも言う)を渡る。付近に栃の木が多かったらしい。



右写真、栃ノ河の流れ。









左写真、仲人茶屋跡。
女坂とこの先の男坂との間にあった。


右写真、男坂を上る。









左写真、明るい道になった。



右写真、谷は全然視界が利かない。









左写真、やっと岩神峠だ。



右写真、岩神王子跡。









林道に出ると、
左写真、「王子製紙社有林」の看板。
415hあるそうな。
なお、”王子”製紙の王子は東京都北区にある地名で、熊野古道の王子とは関係ないらしい。


右写真、多分、王子製紙社有林の山。







左写真、王子製紙の林を進む。



右写真、沢蟹に出会す。

この辺り、沢、小川が多く、何度も丸太の橋を渡り、沢蟹も多く見た。







左写真、おぎん地蔵。
この地蔵には「妙安自楽信女、俗名おぎん」と刻まれている。
京都の芸者であったが、道湯川の豊之丞をしたってここまで来て、もうすぐ道湯川という所で、二人組の追いはぎに襲われ命まで奪われた。
土地の者がその死を哀れんで、地蔵をたて、おぎん地蔵と呼ぶようになった。


右写真、おぎんの白肌のような茸が生えていた。







左写真、一里塚跡。



右写真、湯川川。









蛇型地蔵に寄らずに、
左写真、前方の橋を渡る。


湯川氏発祥の地・道ドウ湯川の廃村を見ながらに進む。


湯川一族の墓には寄らず、
右写真、湯川王子に至る。





左写真、湯川王子。
九十九王子のうち比較的格式の高い准五体王子で、道湯川の氏神として祀られてきた。
しかし、明治末期に近野神社に合祀され、この地は昭和30年代から無人になった。


右写真、覆屋の中の小社殿。
近年土地の出身者らによって再建されたとのこと。

三越峠への最後の急坂に進む。





左写真、道中、この萩のような小さな丸い葉をよく見た。
どんな花が咲くのだろうと思っていたが、やっと、咲いている花を見つけた。
小さな白い花だった。



右写真、三越峠に到着。







左写真、前方は峠の休憩所。13:55

先客が居た。男2女1の3人で、小広峠をスタートし赤木越えルートを目指していたが、男1が足を痛め、丁度、携帯で車を呼んでいるトコロだった。
ココは林道が通っていて、よかった。


まず着替えて、昼飯休憩。
民宿のお握り3個、大和煮缶詰、チョコレート。
30分以上休憩する。


ココは奥熊野と口熊野の境で昔は関所が設けられていたそうな。


左写真、関所を模したゲートをくぐって、本宮大社へ向かう。 14:30



右写真、音無川の最上流部を下っていく。



廃村となった道川集落を通過。





左写真、音無川沿いの道を快適にどんどん下る。



右写真、画面中央は砂防堰堤だと思うが、表面が竹で覆われている様に見えた。
(この先でも見た。)








左写真、ハイキング気分で歩く。


右写真、赤木越はこの橋を渡る。
ココは赤木越との分岐点。本宮大社へはさらに川沿いを進む。

近世の熊野詣は赤木越で湯峰温泉へ至り、湯垢離の後、大日峠を越えて大斎原オオユノハラに向かったそうな。







左写真、船玉神社。右手は玉姫稲荷。


右写真、船玉神社。
舟玉神社の由来
昔、玉滝という滝壺があり、神様が行水をしていると急に大雨が降った。
滝壺に浮かんでいた蜘蛛がその大雨に溺死しそうになった。
それを見た神様が榊の葉を投げてやると、蜘蛛はその葉に乗り、手足を使って舟を漕ぐようにして無事に岸にたどり着いた。
その様子を神様が見て、船というものを思い付き、楠をくりぬいて丸木船を造った。
これが最初の船であった。




左写真、船玉神社の狛犬
コチラは「阿」で、”玉を銜えた龍”。
「吽」は、”玉を持つ龍”だそうな。
船玉神社は本宮大社の奥の院に当たり、狛犬も特別なのかも知れぬ。


右写真、玉姫稲荷。
コチラもなかなか立派なお稲荷さんだ。
舟玉と夫婦神ともいわれている。





左写真、山道に入る。



右写真、猪鼻王子跡。









チョットきつい「たっくん坂」を上りきって、
左写真、発心門王子跡に出る。



右写真、発心門王子の朱塗りの社殿。
(平成2年建築)







左写真、子安地蔵。
地元の人々の信仰を集める安産のお地蔵さんらしい。


右写真、発心門の集落。

手作りの木製人形や絡繰人形が迎えてくれたが、時間がない。先を急いだ。







左写真、前方は水呑王子跡の曲がり角。




右写真、竹林の上に祠が見えた。








左写真、水呑王子跡。 16:10

どうやら、少々急いでも時間が足りないようだ。
たまたま駐車していた車の人に相談すると、「本宮大社のバス停まで乗せていってあげる」と言う。
ありがたや、熊野権現様の御加護に感謝!!!

「仕事で大汗を掻いたので、車内で着替えていたところだ。」
「大阪で勤めていたが、親が年いったので帰ってきた。」
と言われていた。




世界遺産熊野本宮館という立派な施設が本宮大社の道路を挟んで向かえ側にできていた。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の観光拠点として田辺市が造ったらしい。(和歌山県世界遺産センターもこの中にある。)

ココを訪ねて、「熊野古道を歩いてきて汗ボトになり、どこかで着替えたいのだが。」と聞いてみると、
親切に会議室を使えと言ってくれた。
真新しい建物の木の香りのする会議室で着替えさせてもらった。コレも権現様の御加護か。

世界遺産センター前にできていたバス停からバスに乗って、紀伊田辺駅経由で帰宅。

本宮大社前17:15発→紀伊田辺19:15着 龍神バス 古道4号 (¥2000)
紀伊田辺19:46発→天王寺21:31着 オーシャンアロー32号(新大阪行き) (¥4200)


なお、紀伊田辺駅で待ち時間が30分ほどあったので、駅前食堂でラーメン(¥600)を食って、
居酒屋「白百合」で熱燗を1杯(¥500)飲んで体を温めた。