チョットずつ奥の細道 i−2 山路と川路
最上川canoe
2013年6月14日(金)
まず、「おくのほそ道」の一節 :
《最上川》
『 最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。こてんはやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。
左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをやいな船といふならし。 白糸の瀧は青葉の隙隙に落て仙人堂岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし。
・ 五月雨をあつめて早し最上川 』
芭蕉は、本合海モトアイカイで乗船。古口の新庄藩(戸澤藩)船番所で船を乗り継ぎ、鶴岡藩領の清川で下船している。
私は、この最上川を「赤いカヌーの一人旅」に加えたく、私の5号艇(フジタカヌーのアルピナ1)で挑んだ。
・ 芭蕉と同じく(正確には少し下流だが)、本合海の河原で愛艇の折り畳みカヌー(ファルトボート)を組み立てて出艇。
・ 古口には観光用に「戸澤藩船番所」が復元され、芭蕉ライン舟下りの乗船場になっている。ココの端っこに着艇し、レストラン でランチ休憩。
・ 『水みなぎつて舟あやうし』どころか水量が少なく、”五月雨を集めず遅き最上川”のため、カヌーは流れず漕がねばならないトコロが大半であった。
加えて、出艇前にトラブルもあり、行程が大幅に遅れた。そのため、仙人堂を見学した後、対岸で上がり、JR高屋駅から電車で新庄に戻った。
【本合海】 モトアイカイ
上の写真は本合海附近の航空写真である。(from 最上川電子大事典)
画面左手の集落(元合海大橋付近の右岸)が本合海の集落。画面左下から新田川が合流してくる。2つの川が合うトコロなので、「合海」。
ところが慶長年間に時の領主が、合海村を画面中央右上(元合海大橋上流側の左岸)に移し、左岸側の開発を目論見たらしい。”合海”が引っ越したのだ。
それで、右岸側を元の”合海”すなわち、”元合海”と称するそうな。
芭蕉は、本合海大橋の少し上流側右岸から船に乗って最上川を下った。本ページ冒頭の写真が芭蕉乗船地。
赤いカヌーは、本合海大橋の下流側左岸(上の写真で白く写っているビーチ)から出艇した。
本日の赤いカヌーの、航行軌跡は下mapの如くである。
朝、ルートイン新庄駅前ホテルをタクシーで出発し、途中コンビニで水と非常食を仕入れて、本合海に着く。
(下の3枚の写真は去年の夏の出艇ポイント下見時のものである。)
タクシーで行けるとこまで行ってもらい、左写真のような土道、砂道は荷物を担いで持ってビーチへ運ぶ。
ビーチの対岸は中写真の如く、切り立った崖で、最上川らしい景である。
出艇ポイントは下見で決めた通り、右写真のビーチにした。
艇を組み立て始めて、2つのトラブルに見舞われた。
その1: 水と非常食が見当たらない。来た道を繰り返し歩くも無い。タクシーに忘れたと思い込み、ホテル経由で捜してもらう。
結果的には下車地点の草むらの中にあった。
その2: 本日の行程には十分に余裕があるので、日陰の無いビーチで時間をかけてゆっくりゆっくり舟を組み立てた。そして、
記念写真を撮ろうとすると、デジカメの画面が真っ暗である。日向に置きっ放しだったので、きっと熱中症である。
草むらの陰に寝かせて回復するのを待った。
この2つのアクシデントのため、出艇は11時になってしまった。
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気を取り直して、いよいよ出艇!
左写真、ビーチのすぐ上の草むら小花が見送ってくれた。
中写真、ココから艇を出す。
右写真、川面は静かすぎる。鏡のようである。 11:10
左写真、ゆったりと大河を漕ぎ進める。水面に夏山の緑が、そして夏の白雲がきれいに映っている。
中写真、最上川は、この先で大きく右に曲がる。
右写真、鶴岡街道(47号線)の覆道が正面に見える。左手の山肌が大きく崩落している。
左写真、(右手から入ってくる)鮭川との合流点の手前。
中写真、非常に浅い。カヌーの底がすれすれである。下に石が見える。透明な水だ。
右写真、画面中央に古口大橋が見えてきた。
左写真、古口大橋通過。 12:07
中写真、大河はゆったりと直進する。
右写真、古口の観光船乗り場。ココから芭蕉ライン舟下りの船が出る。
漕ぎ寄せると、船頭さん曰く「今日は楽だったろう。」
実際は、流れがなく漕ぎ進めるのがシンドかった。
ココの下流側の端っこに艇を着けて上陸。 12:30
左写真、「戸澤藩船番所」の立派な看板を付けた門。(去年の下見の時は、この門の右手裏に駐輪した。)
写真前方のレストランで昼食。「芋煮カレー」がうまかった。
中写真、「航海安全観音菩薩」をバックに記念写真。
この幟を撮っていたら、店の兄ちゃんがシャッターを押してやると駆け寄ってきた。
私は面倒なので、自分の写真は撮らないことにしているのだが、折角の好意を断れずモデルになった。
(ココでは闖入してきた私の「赤いカヌー」が知れ渡っていた。いろいろと親切にしていただいた。)
右写真、止めておいた赤いカヌー。
画面左手から小さな川が流入してくる。ソコの河原に着艇・上陸した。(画面で艇の上の流れの入り口)
降りると、底なし沼の如く、足が砂にズボズボと入ってしまい、苦労して上がった。
左写真、砂にめり込んだ足跡が続いている。
中写真、この辺りは下見の時は、左岸側に岩が並んでいて、真ん中に大きな中州があった。
右岸沿いには結構深い流れがあって、ソコしか安全には漕げない判断していた。
今日は下見時よりも水量があり、画面に写っているザラ瀬は下見時の中州のようだ。
やはり、右を漕ぐ。
右写真、「最上峡ふるさと村」なる水上売店。
ココに艇を着けて乗ったまま、”さくらんぼアイスクリーム”を注文し、最上川に流されながら舐めた。
JR沓喰トンネルの辺りは地理院25000で見ても川幅が一番狭く、覚悟はしていたが、マアマアの瀬であった。
その後、仙人堂に着艇、上陸した。
その時にデジカメを水中に落とした。
撮ろうと思ったのだが、首からぶら下がっているはずのデジカメがない。そこで気がつき戻ると、最上川にプカプカと浮いていた。
私は普通はカメラを首からぶら下げているのだが、「水みなぎつて舟あやうし」に備えて、危なそうなトコロでは首から外して防水袋に入れていた。
ところが、本日は最上川は特別優しかったので、最後の方では防水袋に入れずコックピットの前に置いていたのだ。
そして、いつもの感覚で艇から降りた。当然ながら、その時にカメラは水中に落ちたのだった。
なお、幸いなことに、記憶メディア・SDカードは大丈夫だったので、写した画像は無事だった。
そんなこともあって、気力が萎えてしまった。対岸に小さめの観光船が舫われていて、人影が見える。
近づくと、老人とその娘らしいおばちゃんが片付け仕事をしていた。
車で”高屋駅”まで送ってくれないかと交渉すると、幸いなことに、おばちゃんの方がOKと言ってくれた。 15:30
艇を畳んで高屋駅に着くと、すぐに新庄行きの電車が来た。荷物を積み込み、おばちゃんに見送られて最上川に別れを告げた。
予定では、下mapの最上川リバーボート舟下り降船場(草薙温泉)で上がるはずだったが、諸般の事情で早く上がった。
新庄に戻って、ルートイン新庄駅前 に連泊した。
3日目 山刀伐峠
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