チョットずつ奥の細道 j

    
遊行柳→白河の関→須賀川→安積山

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旅順記号 日 程   サブタイトル  宿泊地
j−1 1日目 2013年9月28日(土) 遊行柳 白河
j−2 2日目 9月29日(日) 白河の関 須賀川
j−3 3日目 9月30日(月) 乙字ヶ滝



チョットずつ奥の細道 j−1  奥へ   


      黒磯 → 遊行柳 → 境の明神

                                                         2013年9月28日(土)

【本日の走行軌跡】
 下mapに本日の走行軌跡を示す。
 黒磯駅から前回(2013/4/30)のルートとの分岐点・一軒茶屋前まで那須街道をバスで北上、輪行した。
 (mapの尖ったトコロ)








   左写真、新幹線・黒磯駅前の明治屋で熱々の「温泉まんじゅう」を1個買って頬張り、戦の準備をした。

      中写真、一軒茶屋前バス停前でBD-1を組み立てる。(クイックレバーの不具合で手間取り、少し焦った。)

          三叉路で那須街道と別れ、左手の県道21号線を進む。

         右写真、21号線は車も少なく、その上に緩やかな下りである。快適に走る。




   左写真、英国国旗の出ている那須ステンドグラス美術館前を通過。

      中写真、68号線を越えたトコロ。実りの秋である。豊作のようだ。

         右写真、東北自動車道を越えたトコロ。先ほどから、アカマンマの群生をよく見る。




   左写真、4号線の手前の景であるが、遠景の山は男体山かも知れない???

      中写真、曼珠沙華(彼岸花)がアチコチに咲いていて、何回か立ち止まる。

         右写真、この写真が一番きれいだ。




   左写真、東北新幹線の手前で暫し写真休憩。芦野温泉まで8.2kmの案内板が出ていた。小さな柿が地面すれすれまでたわわに実っている。

      中写真、「馬頭大神」の石碑。明治の末に建てられたらしい。

         右写真、この芒の素晴らしさ!




   左写真、少し先で撮したコスモス。道端にいろんな花が咲いて、迎えてくれる。

      中写真、黒川。那須もみの木キャンプ村の近くである。

         右写真、芦野に着いた。奥州街道に面した交差点にある西光寺。




   左写真、奥州街道を北上する。街路樹に柳が植えられていた。前方中央に遊行柳が見える。

      中写真、遊行柳、上の宮へのアクセス路。右側は曼珠沙華、左はサルビア。

         右写真、画面左端、石灯籠の左手に芭蕉句碑が見える。




   左写真、「田一枚うゑてたち去る柳かな」の芭蕉句碑。

   ※ 「おくのほそ道」の「田一枚・・」の前には、次のように書かれている。
   『 又、清水ながるゝの柳は、蘆野の里にありて、田の畔クロに残る。
    此所の郡守戸部某の、「此柳みせばや」など、折をりにの給ひ聞え給ふを、
    いづくのほどにやと思ひしを、けふ此柳のかげにこそ立より侍つれ 。』
  西行の時には、”清水流るる”であったのだ。後には、蕪村も”清水涸”と詠んでいる。

      中写真、画面中央が遊行柳。手前は桜。柳の前に芭蕉句碑。左端には投句箱。

         右写真、「柳散 清水涸 石処々」の蕪村句碑
。(柳散り清水かれ石ところどころ)




   左写真、「道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」の西行歌碑。
          西行のこの歌をテーマにして、室町後期に観世信光(1435〜1516)が謡曲「遊行柳」を作り、コノ地が歌枕にまでなった。
          ココは、芭蕉句碑、蕪村句碑、西行歌碑の三つが集まっている豪華な地である。

      中写真、那須湯泉神社(上の宮)。なお、この神社の芦野寄りに、芦野温泉神社(下の宮)がある。
            畑の爺さんに「温泉神社は?」と聞くと、上と下と両方ある。上はコチラだと教えてくれた。

         右写真、神社参道の左手に蕎麦の花。この辺りには蕎麦畑が多く、白い花が満開であった。



   左写真、奥州街道を奈良川沿いに北上する。この先で奈良川の左岸に渡る。

      中写真、板屋の一里塚。左の碑は馬頭観音。

         右写真、なだらかな切り通しの峠を越えて、那須町寄居集落センターでトイレ休憩。二宮尊徳の像があった。





   左写真、左に分岐して旧道に入ると、落ち着いた、立派な町並みが残っている。

      中写真、泉田の一里塚。

         右写真、大谷石のような石で作られた祠。板で塞がれていたので、中は見えなかった。




   左写真、大きな明神の地蔵様。

      中写真、「ようこそ福島県、白河市」の標識が上がっている。この峠を越えると、いよいよ、奥へ入るのだ。左の白い標柱は「境の明神」。

         右写真、関東側の境の明神(玉津島神社)。




   左写真、玉津島神社の本殿。

    国境を越えて、
      中写真、奥州側の境の明神(住吉神社)。

         右写真、住吉神社の本殿。

  この後、一路、陸羽街道を直進し、白河の宿・ホテルルートイン新白河駅東 へ直行した。


                                2日目 


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