花と鳥の暦 2000,2001,2002
傍示 八葉蓮華寺の近くで (2011/03/12)
常滑 やきもの散歩道で見た花梨の実 (2010/11/28)
伊勢本街道の花 (2010/07/31)
伊勢本街道の花 (2010/07/31)
ササユリ
野イチゴ
カラスウリの花
醒ヶ井の梅花藻 (2010/07/18)
地蔵川の川縁に箱眼鏡が置かれていたので、きれいに撮ることができた。
ボタンクサギの花 (2010/07/07)
2010年7月5日に初めて、交野市私市6丁目で、続いて私市2丁目で見掛けた。
野性的、個性的な印象が強烈で、翌日、写真を撮るために再び出掛けた。
通り掛かった何人かの人に名前を聞いたが、分からなかった。
教えてgooでボタンクサギと教えてもらった。
中国南部の原産らしいが、臭木とは可哀想な名前だ。
葉や枝を切ったすると、いやな匂いがするが、花は結構いい香りらしい。
朝のウォーキング (2010/07/02)
傍示の里から降りて来ると、交野市森のアジサイが見事だった。
朝のウォーキング (2010/06/30)
凌霄花 野いちご
夾竹桃 鉄線花
合歓の花が咲き始めた 毬栗
梔(クチナシ) 泰山木の花
我が家の紫陽花 (2010/06/16)
山田池公園の花菖蒲 (2010/06/12)
肥後系 涼夕 愛知の輝
肥後系 頼光 江戸系 霞の里
上のベンチで弁当を食った 江戸系 沖津白波
池には睡蓮が 沼には河骨が
紫陽花山 石榴の花も
ブラシの花 (2010/05/28)
花が、ビン洗いのブラシにそっくりなので、ブラシの木、ブラシの花と言う。
英語でも、Bottle brushで、カリステモン Callistemonという格好いい名前は
ギリシャ語の「kallos(美しい)+ stemon(雄しべ)」 が語源とのこと。
明治中期に渡来したらしい。
朝のジョギング (2010/05/17)
たぶち医院のバラが見事である。長い登り坂の上の方のだが、疲れも忘れる。
その上のお家の山帽子。
その上の左手、車道に面して鉄線花。
五常公園のハコネウツギだろうか?違うかも?
山田池公園 (2010/05/02)
あまりに天気がよいので、女房と山田池公園に行った。
アカメヤナギの下のベンチでサンドイッチを食った。
【アカメヤナギ】
赤芽柳の意で、若葉が赤色を帯びる、もしくは、秋口になると花の包が赤く霜焼けする、らしい。
別名のマルバヤナギは他のヤナギ類に比べ葉が広く楕円形であるかららしい。
そういえば、柳らしくないナァ。
包がやぶれて雄花の露出したものが「猫柳」と呼ばれる。
藤は丁度真っ盛りなのだろう、アブがブンブンと群がっていた。
黒く写っているのはアブ。
キリシマツツジも真っ盛りだった。
蜂の仲間が盛んに出入りしていたが、写っているかな。
イロハモミジの新緑が素晴らしかった。まさに若楓だ。
葉の裂片をイロハニホヘトと数えたのが名前の由来とは知らなかった。
エノキの新緑が輝いていた。
ケヤキの大木も新緑がいっぱいだった。
春の花、ハナズオウが僅かに残っていた。
花蘇芳と名づけられたのは、 この花の色が、重要な赤色染料だった蘇芳の木の染汁の色に似ているかららしい。
なお、蘇芳も花蘇芳も同じ豆科の植物ではある。
朝のジョギングにカメラを持って行った。 (2010/05/01)
ジョギングのスタートは”五常公園”。
今は、藤と杜鵑花サツキが見事だ。
この公園には、辛夷、桜、泰山木もある。
坂を登り切った高台には、鯉幟が泳いでいる。
山之上小学校前の階段を上ったトコロの馬酔木の大木は見事だ。
”以楽園”はいつも静かで気持ちがいい。
我が家に隣接する”さつき丘南公園”に帰ってくると、花水木迎えてくれた。
少し前は、八重桜、その前はサクラ、その前は白木蓮だった。
下左写真は、”さつき丘南公園”の入口。画面正面に我が家。
下右写真は、公園の出口。我が家はひっついている。
近所の気になっていた花 (2010/04/28)
山之上西町、下り坂の途中の家の小手毬。
自転車で気持ちよく下る時や朝のジョギングの時に、
きれいだなといつも見ていた。
やっと写真に撮れた。
藤田町の大手毬。
これも見事だ。
下の枝は地面にまで垂れ下がっている。
藤田町のライラック。
これもひときわ目立つ。
イッペイ(一心寺) (2010/04/28)
一心寺の北門の右手で初めて見た花だ。
ブラジル産のノウゼンカズラ科で、ブラジルの国花らしい。
シジミバナ 蜆花 (月江寺) (2010/04/28)
コゴメバナ(小米花)とも言うらしい。八重咲きで、雄蕊や雌蕊は退化していて種子はできない。小さいが、バラによく似た花の造り。
意賀美神社の梅の古木 (2010/02/21)
意賀美神社の梅は大半が満開であった。
しかし、この古大木はようやく蕾が膨らみ始めていた。
慌てなくていいよ!
臘梅(実つき) (2010/01/24)
大阪市天王寺区の“義士の寺”吉祥寺の臘梅が見事であった。
しかも、去年の実が黒々といくつも残っていた。
どうしてか分からないが、多くの臘梅には去年の実が付いていない。
そこで、下に臘梅の実の写真を集めてみた。
「臘梅の花に隠れず去年の実」(2008年2月の拙作)
意賀美神社の梅 (2010/01/17)
意賀美神社の梅林で数本の木が早々と咲いていてくれた。
旧田中邸跡に咲く水仙 (2010/01/17)
枚方市上之町にあった田中家は、河内鋳物師イモジとして代々鋳造業を営んできた。
その鋳物工場と主屋は、藤阪に移築復原され、「旧田中家鋳物民俗資料館」として整備、公開されている。
上之町には大阪府指定天然記念物である椋の老大木が残っていて、その根元一体の斜面に水仙が生い茂っていた。
消防出初式 (2010/01/10)
”江戸の花”の梯子乗りの妙技
獅子窟寺の臘梅 (2010/01/03)
山寺の獅子窟寺の庫裏の前に咲いていた臘梅。
この写真を撮っていると、先代のご住職の大黒さんが話しかけてくれ、いろいろと教わった。
61年前に獅子窟寺に嫁いだ時には、大坂城の天守閣より高い建物はなかった。
大阪湾に船が小さく見えて雄大だった。
40年前に電気を引くまではランプの生活で、今でも宅急便は来ない。
伊勢神宮 内宮 (2008/01/02)
冬はやはり寒椿だ。
神宮も例外ではなかった。
神鶏と呼ばれる鳥。玉子は誰が食べるのだろうか?
クリスマスイブの熊野古道で出会った花 (和歌山県日高町) (2007/12/24)
冬菊が元気だった。
左のは凩に吹き飛ばされそうだった。
右のは冬西日に眩しそうだった。
柿の実は花のように美しいと思う。
湖東三山 (2007/11/27)
百済寺には三椏ミツマタ植生群があって、三椏の蕾が沢山付いていた。
春には右下のような花が咲くのだろう。
西明寺参道左手の名勝庭園に、朱い千両と黄色の千両が沢山ある。
【私の記憶法】
千両は葉の上に実 : 千の字は横棒の上に実
万両は葉の下に実 : 万の字は横棒の下に実
熊野古道の自転車旅で見た藤の花 (2007/04/20)
・南大江公園の藤
大阪市中央区の町中にある古い結構大きな公園の藤の花が満開であった。まだ4月20日である。
今年は暖冬で、桜も早かったので、藤も早い。
・方違ホウチガイ神社の白藤
神社のHPによると、
摂津住吉郡、河内丹治比郡、和泉大鳥郡の三国の境界なるが故に、“三国山”“三国の衢(ちまた)”また“三国丘”とも称された。
この三国の境(ちなみに“堺”の地名はこれに由来する)で何処の国にも属さない、又方位の無い清地であるという考え方に依りその境内の御土と菰の葉にて作られた粽は、悪い方位を祓うという信仰を以て、古きより方災除の神として仰がれている。ぐ
平安時代には、熊野詣の通過地点であったため、熊野詣での人々は必ず当社へも参詣し、旅の安全を祈ったという。
明日香ウォーキング (2006/12/23)
多武峯トウノミネの談山タンザン神社の本殿。
本殿前の冬紅葉もすっかり散ってしまい、冬日が奥まで入っていた。
多武峯で大化の改新の談合が行われたことから、談山神社には中臣(のち、藤原姓)鎌足が祀られている。
飛鳥座アスカイマス神社で、冬日の中に桜が咲いていた。
天田神社の椿 (2006/1/3)
写真真ん中の椿は開き始めたトコだった。
2006年の元旦は柿がきれいだった (2006/1/1)
2006年1月1日、初詣サイクリングでたわわに実が付いた柿の木を数多く見た。
昨年は柿の生年ナリドシだった。それも今までに経験したことがないくらいの豊作だったとのこと。
柿に限らず実のなるものは皆よく生ったようで、紀州有田みかんも大豊作だと聞いた。
左写真、大門酒造手前の大きな石灯籠の角(城戸)にあった柿の木。
右写真、大門酒造のすぐ上の農家の柿の大木。(道は行き止まりになっている。)
左写真、寺の畑の向こうにあった土壁の小屋の前にも大きな柿が生っていた。
左写真、小屋の東には柿の古木。
右写真、並んでもう一本。
左写真、創価学園前の畑の柿が一番見事だった。
右写真、その畑では、もうエンドウ豆が丁寧に植えられていた。
京・東山・高台寺の紅葉 (2004/11/23) not cycling
臥龍池にも紅葉が映っている。 開山堂から。
霊屋手前から境内を見下ろす。 門の外で。
高台院化粧御殿跡(圓徳院)の出口扉から。
高台寺道南西端でホトトギスが見事に咲いていた。 安井金刀比羅宮の東で見た最高の銀杏黄葉。
近江坂(滋賀県今津町)の山道にて (2004/04/26) not cycling
滋賀県の花・石楠花シャクナゲが咲いていてくれた。 (奥琵琶湖の眺め。竹生島と海津大崎が見える。)
岩団扇イワウチワ。常緑の葉の形が団扇に似ている。
岩鏡イワカガミ。岩団扇と同じイワウメ科で、よく似た肉厚の葉を持つ。時期的には岩団扇が先で、その後、岩鏡が咲く。
葉が鏡のように輝いているので、岩鏡と言うらしい。 白い岩鏡もあった。
船の錨に似ている錨草イカリソウも所々で咲いていた。
交野の桜 (2004/03/28)
交野の寺地区は桜もきれいだ。特に、段々畑の途中にある静かな公園の桜を、ぼくは気に入っている。
家からいつものように天野川沿いに走って、枝垂れ桜や山桜も見て、最後はココの桜。
まだ3月だ。今年はホント早いナァ。黙って初めて付いてきた愚妻もこの桜にずーっと見入っていた。
そして、段々畑には、多分、エンドウだろうか、赤い花と白い花が元気に咲いていた。
交野の春 (2004/03/09)
交野の寺地区で満開の梅を愛でた。
道端の古木 小さな梅林で
古い民家の薄紅梅 同じ民家のもう一本の梅
住吉神社の手前にある白梅の古木
蝋梅ロウバイも満開だった これは何だったかな
菜の花も輝いていた
畑には鶫ツグミが来ていた。
これは白旗池。真鴨、小鴨とともに、葦鴨ヨシガモと、茂みの下には鴛鴦オシドリもいるのだ。
雪の九州にて (2004/02/05〜07) not cycling
竹田の岡城址に行った。写真中央に滝廉太郎像が写っている。「荒城の月」とともに、やっぱり、「花」が代表作だろうナ。
高千穂峡では、木の枝に付いた雪が、まるで満開の「花」のようであった。
湯布院の露天風呂。湯の「花」があったかな。真っ正面の由布岳も雪に煙っていた。
真鴨たちが雪遊びをしていた。シャッターを押すと嫌がって、池に飛び込み、鯉たちの背中に落ちた。(高千穂峡にて)
琵琶湖(南湖)の冬の華と鳥 (2004/1/22) BIWAKO Walking @
琵琶湖を瀬田の唐橋から反時計回りに一周する BIWAKO Walking の第1回目。
気温はマイナス1℃。写真中央前方の比叡山から吹いてくる比叡颪の強風で、湖岸の波しぶきは氷っていた。
琵琶湖の冬の華であった。
この寒風は、湖岸沿いに歩く我々には地獄であったが、水鳥たちには天国であった。
我が家の狭庭に来る鳥たち (2004/1/19)
庭のフェンスに餌台を載っけている。毎年、冬場になって自然の餌が無くなると、小鳥たちはやって来る。
メジロ(左写真)は、通常ツガイで来る。蜜柑も好きだが、砂糖水には目がない。1月23日には凍った砂糖水を
懸命につついていた。お湯を入れて溶かしてやると、うまそうに飲んでいた。
スズメ(右写真)も蜜柑を食い、砂糖水を飲むようになった。メジロのうまそうな姿を見て真似ているのかな。
時にはメジロとスズメが仲良く並んで蜜柑を食べていることもある。
天野川は冬鳥がいっぱい (2004/1/18)
カワセミ君を今年初めて見た。しかも、往復ともに見た。白鷺も友達のようだ。
鴨たちもいっぱいいた。水面、水辺に写っているのはみんな鴨だ。
獅子窟寺の山中の椿 (2004/1/12)
真ん中チョット左に椿の花が咲いています。この椿の木はナント岩に根を張って立っていました。養分が十分でないからか
葉っぱの数もうんと少な目です。でも満開近い紫ピンクの花が一輪、ならんでもう一輪。通る人も無い谷筋で見つけました。
鴨の初泳ぎ? (2004/1/5)
天野川で鴨がたくさん泳いでいました。左は右下に白鷺もいます。右の画面の外では元気な子鴨がはしゃいでいました。
水仙ふたつ 傍示の里と高山 (2004/1/6)
左は傍示の里の民家の畑で。 右は高山の畑、この上の平地には正月が開けると、天日干しの竹が立てかけられる。
傍示の里の寒の入り (2004/1/6)
紅梅のほのかな紅がさしていた。 蝋梅ロウバイがちらほら咲いていたが。
冬の華 (2003/12/1) not cycling
この枝振りは、花のない「冬」は自分たちのシーズンだと宣言しているようである。
大根島の牡丹 (2003/11/30) not cycling
宍道湖の隣の中海に浮かぶ真っ平らな島、大根島に行った。牡丹と雲州(高麗)人参の島である。
上の写真は寒牡丹。(春に蕾をつみ、夏の終わりに葉をつみ取って、霜囲いをして保護すると冬に開花するそうだ。)
下は「牡丹の館」という温度管理されている建物内の牡丹である。人工のひ弱さはあるが、美しい。さすが花の王・牡丹だと思った。
(いずれも由志園で写す)
宇治の紅葉 (2003/11/23) not cycling
宇治に紅葉を訪ねた。左は仏徳山ハイキングコースでやっと見つけた紅葉。ここまでは青い楓ばかりだったので、うれしかった。初々しい紅だった。
右写真には宇治川が写っている。ファルト初心者の時にソロで漕ぎ出して、ココの下流のJR宇治川鉄橋で古い橋脚の鉄筋棒に船体布を破られて
沈したことを懐かしく思い出した。
左は、曹洞宗の修行道場である興聖寺コウショウジの山門(竜宮門作りの優美な門)を出て、石門に降りていく200mばかりの参道・琴坂の紅葉。
右は石門を出て河原に降り、宇治川の上流側を撮った。画面中央右下には、少し川面に出た石にすまして立っていたアオサギ君が写っている。
東福寺塔頭・光明院の紅葉 (2003/11/21) not cycling
上の2枚の写真は、広大な東福寺の塔頭・光明院の波心庭を吉野窓越しに見たもの。(右側はフラッシュを焚いた。)
下は波心庭の端っこにある紅葉と三つの石。真ん中の石は薬師如来で左右は日光、月光だと観光タクシーの運ちゃんが言っていた。
東福寺・通天橋の紅葉 (2003/11/21) not cycling
天下に知られた紅葉の名所、京都五山・東福寺の通天橋(洗玉澗の谷間に掛かる開山堂への歩廊の橋)を下流側の臥雲橋から望む。
(今年2003年は、お盆を過ぎてから暑い秋が続いて冷え込みがなく、全国的に紅葉が遅いようだ。)
二条城の梅林にて (2003/3) not cycling
二条城に行った。梅の写真だけを撮った。
天野川の鴨たち (2003/2)
鴨を写すのは結構難しい。川沿いの路から河原に降りて近づいたりしたが、まず白鷺が用心深くすぐに飛び立つ。
もう少しのトコロで、鴨たちも一斉に飛び立ってしまうのだ。それで、路から写すことにした。
我が家の氷柱 (2003/1)
1月29日この冬一番の寒気団のため、明朝の最低気温はマイナス2度との予報を聞いて、狭庭の水道管破裂を心配した。
夜、蛇口をひねりに出たが、既に凍っていた。
やかんのお湯をかけ、なんとかレバーは回ったが、水道管の氷は溶けなかった。
翌朝、庭の下で氷柱ができていた。
多分、私が家に入ってから、やかんのお湯が効いてきて氷が溶けて水が流れていたのだろう。
この氷の華、翌々日までもって、通る人の目を引いていた。
意賀美オガミ神社の梅 (2003/1)
一つの幹で紅梅、白梅の花をつける「源平咲き分け」をはじめ、110本の梅があるというご近所の意賀美神社へ1月31日に寄った。
薄ピンク色の早咲きの梅が待っていてくれた。白梅はこれからだった。
天野川の翡翠(カワセミ)の撮影成功 (2003/1)
去年の12月に天野川でカワセミを見つけた。あまりに急だったので、カメラを取り出す余裕がなかった。
1ヶ月以上経って、年が明け、忘れた頃にまた同じ場所にカワセミくんが立って水面を見つめていた。
『出初め式』の練習? (2003/01/11)
淀川河川敷公園(枚方地区)に夕刻、上流側から走ってくると、芝生の上に赤い花が並んで咲いていた。
枚方市、寝屋川市の各地区の消防団がそれぞれの消防自動車を出していたのだ。
(火事と喧嘩(けんか)は江戸の花。そうか、浪花では消防車は花ではなかったのか。スミマセン。)
それにしても、各町内の消防団が小さいながら消防車を持っていたとは知らなかった。
写真の右手方向では、消防士が集まって、多分明日の日曜日に行われる出初式の式次第、細部の注意事項を聞いていた。
こちらは明らかに花ではないので写さなかった。
後日、枚方市の広報によると、1月12日(日)に合同消防出初式が行われ、
枚方寝屋川消防組合、枚方市消防団、寝屋川市消防団から1332人、88台が出動。
『連凧』 凧が401個も連なれば、渡り鳥の大群の如し (2003/01/09)
淀川河川敷公園の水際の道を上流側から走ってきて枚方大橋の手前で、連凧を揚げている光景に出くわす。
通り過ぎて法面ノリメンのコンクリートの目地部分を駆け上がって近づいた。オッちゃん達が連凧を揚げている。
しかも生半可な数ではない。
一番上は見えないではないか。赤いベストの後ろ姿が凧師?で、その他は通りすがりのオッちゃん達だ。仲間に入れてもらう。
凧には連番が書き込んであり、200を越えた。
次々と段ボール箱で作ったケースから繰り出される。
持たせてもらうとすごい力だ。
凧の数は全部で401。
2m間隔なので、800mを越えるのだ。
401番凧まで揚げきると、凧師はすぐに降ろし始めた。
みんなで手伝う。
これは体力がいると口々に言う。
100を切ると凧師は放してくれ自分だけでやると言う。
そりゃそうだろうな自分で揚げるのが趣味で、凧をヒゴからも手作りしでやっているのだろう。
60過ぎた暇な?親切なオッちゃん達が応援してくれるのもイイが、・・・
2時半に凧を揚げ始めたそうで、降ろし終わったのが4時半。
2時間の力仕事だ。
雪舞う初詣めぐりの道で (2003/01/04)
この冬一番の寒波が襲来し、風が強く雪も舞う日に、交野ヶ原の初詣めぐりを強行した。住吉神社の北方向の「寺」で写した3枚。
左は、大きな南天。 中は、サザンカ。 右は、柿の実(花ではないが、雲の切れ目を待って苦労して撮ったのだ)。
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