チョットずつ奥の細道 i

  
  山寺、最上川canoe、山刀伐峠

           --- 山路と川路 ---

今回の私の2泊3日の旅は、芭蕉の旅程順とは異なる。すなわち、
芭蕉は、
@ 宮城県(陸奥国)からほぼ、JRおよび国道47号線(北羽前街道)に沿って進み、難所の中山越えを果たして、山形県(出羽国)に入った。
そして、出羽国堺田村(山形県最上町)の封人の家に泊めてもらった。「蚤虱馬の尿する枕もと」の宿りであったが、長雨のため3日も足止めされた。
A 5月17日(陽暦7月3日)快晴に恵まれて「堺田」を出発、JR赤倉温泉駅手前で、JRおよび国道47号線から分岐して、28号線に入った。
B 赤倉温泉を経由して、山刀伐峠(山形県最上町と尾花沢市との境界)を越え、ようやく、尾花沢に着いた
C 尾花沢に10日間も長逗留の後、立石寺を訪ねた。
D その後、大石田、新庄でも歓迎され、句会をもっている。
E それから、最上川を船下りして、出羽3山に向かっている。

私は、去年、
(a) 2012年7月30日に ”大石田、猿羽根峠を越えて新庄へ”を走り、
(b) 翌日”、新庄から最上川に沿って羽黒山へ”走っている。

それで、今回は、山形県東部の抜けていたトコロを巡った。
すなわち、
(1) 山刀伐ナタギリ峠〜尾花沢を3日目に、走り、
(2) 立石寺・山寺を1日目に訪ねた。
(3) そして、最大のイベント・最上川canoe下りを2日目に実行した。

旅順記号 日 程   サブタイトル  宿泊地
i−1 1日目 2013年6月13日(木) 山寺 新庄
i−2 2日目 6月14日(金) 最上川canoe 新庄
i−3 3日目 6月15日(土) 山刀伐峠



チョットずつ奥の細道 i−1   山路と川路  


         山 寺
                                                         2013年6月13日(木)



山形空港からタクシーでJRさくらんぼ東根駅に到着。
北上する予定であったが、新幹線が信号機の不具合で不通になっていたため、急遽、南下し、山寺に向かうことに変更。
2日目、3日目の資料・荷物は新庄のホテルに宅急便送りにしていたので、山寺の資料が無かったのは少し残念であったが。

走行軌跡は、上mapの如くである。
往路は、JR奥羽本線・高擶タカタマ駅をスタートし、最上川の支流・立谷川沿いの快適なサイクリングロードを遡って、山寺へ向かった。
復路は、現・山寺街道(県道111号)を下り、天童駅から新幹線で新庄着。
ルートイン新庄駅前 泊)

  

   左写真、高擶タカタマ駅。ココから走り出した。

      中写真、線路に沿って快適な道を南下。

         右写真、右手にサクランボ畑があった。


  

   左写真、立谷川の下流方向。

      中写真、立谷川の上流方向。正面くらいに山寺があるはず。

         右写真、サイクリングロードへのアクセスが分からず、さんざん迷った末、戻って、堤防の草むらを強引に進んでロードに降りた。

  

   左写真、山寺は正面あたりだろうか?

      中写真、山寺の玄関口(登山口)を写して、まずは門前でソバを食うことにした。

         右写真、「いも煮」幟の右手に我がBD-1を止め、山形牛入り”芋煮そば”\1000-を食った。うまかった。


   
                                         from 山寺観光協会hp


   
                                                     from 山寺立石寺観光HP


  

   左写真、立石寺(山寺)の根本中堂。丁度、薬師如来さまの50年ぶりの御開帳がこの日、追加で催されていた。ラッキーであった。
 松尾芭蕉が句を詠んだことで知られる山形市の宝珠山立石寺(通称・山寺)の根本中堂で、ご本尊の国重要文化財「薬師如来坐像」が50年ぶりに御開帳された。
(今年は慈覚大師没後1150年に当たる。)
 像は高さ約130センチ、カツラ材の一木造り。眉や眼、ひげ、唇以外は彩色が施されていない。平安時代の僧侶、慈覚大師(円仁)の作と伝えられる。
   from MSN産経ニュース

      中写真、根本中堂から出てくると、左手に立派な芭蕉句碑。

         右写真、清和天皇御宝塔。

                       

   左写真、、芭蕉句碑。嘉永6年(1853年)に建立されたらしい。          from ワシモ(WaShimo)のホームページ
                    閑さや岩にしみ入蝉の声               cf 芭蕉db

      中写真、句碑の側面とバックに根本中堂。

         右写真、山寺の大銀杏。慈覚大師お手植と伝えられ、樹齢千年を超えるらしい。天然記念物。
              横の茶店のオネエサンに誘われて、玉コンニャクを食ったが、不味かった。

  

   左写真、大銀杏の横に、高浜虚子・年尾の親子句碑。

      中写真、芭蕉像。昭和47年(1972年)に作られたとのこと。なお、下手にある曽良像は平成元年らしい。新しいのだ。

         右写真、山門。扁額には『開北霊窟』。鎌倉時代末期の建立。
           ここから、大仏殿のある奥之院までは800段の石段が続く。

  

   左写真、「修行者の参道」の説明板。

      中写真、説明板の横手にあった「4寸道」表示板。
         奥の院までの石段の数は、登山口から1000段、山門からは800段らしい。

         右写真、説明板から見上げた「百丈岩ヒャクジョウガン」。


左は立石寺の石段の数の現地調査結果。
      from 山寺立石寺観光HP




















  

   左写真、曲がりくねった石段道が続く。4寸道のすぐ上では左に曲がっていく。左手の朱の布の向こうのお地蔵様に木漏れ日が当たっていた。

      中写真、「せみ塚」。  翁の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の短冊をココに埋めたとのこと。
      なお、この句をドナルド・キーンは次のように英訳している。

       Such stillness-  
      The cries of the cicadas  
      Sink into the rocks


         右写真、弥陀洞。

  

   左写真、石段を登って、画面中央の仁王門に向かう。

      中写真、仁王門。

         右写真、仁王門から見えた岩に洞穴があった。

  

   左写真、性相院。     江戸時代までは、山内に12の塔中支院があり、多くの僧が修行に励んでいたとのこと。
                   今はこの性相院とあと、金乗院・中性院・華蔵院の4つの院が、面影を残している。

      中写真、納経堂の眼下背景の景は素晴らしい。左手は開山堂。

         右写真、納経堂。

  

   左写真、三重小塔。相輪頂まで8尺2寸(248cm)、室町時代末期建立の小塔が岩の中のガラス張りケースに入っていた。

      中写真、舞台の上、正面右手が奥之院。左手が大仏殿。大仏殿には、高さ5m余の黄金・阿弥陀如来座像が安置されている。

         右写真、奥之院。亡くなった人の骨を納め、死者を弔う霊山として信仰の対象とのこと。



                 from http://www.bashouan.com/YA_Map/mapTendou.htm



                                2日目 最上川canoe下り


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