中山道 - 4−2 塩尻〜日本橋 2日目
下諏訪〜岩村田
1日目 | 2011年10月5日(水) | 塩尻〜下諏訪 | 下mapの赤線 |
2日目 | 2011年10月6日(木) | 下諏訪〜岩村田 | 下mapの青線 |
3日目 | 2011年10月7日(金) | 岩村田〜安中 | 下mapの茶線 |
4日目 | 2011年10月8日(土) | 安中〜熊谷 | 下mapの紺線 |
5日目 | 2011年10月9日(日) | 熊谷〜日本橋 | 下mapの赤線 |
なお、下の走行軌跡map2日目の青色の線の途中のflagは、新和田トンネル有料道路と142号線とのの分岐点。
2日目 : 下諏訪〜岩村田
本日の走行軌跡は、上のmapの”諏訪”からの青線であり、その速度高度グラフを右に示す。
この日の走行距離は、59.6km
(8:00〜17:15=9時間15分)
であった。
高低差800mの和田峠がなんといっても本日のハイライトである。
左写真、諏訪湖の向こうから明るくなってきた。 7:47
右写真、ホテルの目の前の秋宮へお参りし、
まずは、湧き出る御神湯で手を清める。
下諏訪温泉の源泉はこの境内であり、秋宮が一手に管理してきた。その湯を下諏訪町営国民宿舎(山王閣)に回したので、山王閣の湯は最高だ。毎日来ている。と、地元のオッちゃんが昨夜の風呂で言っていた。
左写真、「諏訪大明神大祝・金刺盛澄像」
大祝オオホウリは諏訪神社神職の最高位。
画面左の建物は山王閣。
どうやら雨は止んだ。
右写真(by Nakamura)、鉄馬の整備を終え、
8:00出発。
左写真、下諏訪宿・本陣。
砥川沿いの中山道を北上する。
落合の道標に「和田峠 8.8km」を見て、山路に入る。
右写真、道祖神、石仏。
左写真、御柱木落とし坂。
チョット見づらいが、松の傍に実物大の御柱が置かれている。
(142号線は大型トラックが次々と上っていき、その横を走るのは怖かった。)
右写真、雨上がりの山が美しい。
(樋橋トヨハシ付近)
左写真、水戸浪士の墓。(正面)
右写真、水戸浪士の墓のアップ。
画面右手方向に下諏訪教育委員会の説明板があった。次ぎに写す。
”ここは浪人塚といい、元治元年(1864)この一帯で水戸の浪士武田耕雲斎たち千余人と松本、諏訪の連合軍千余人が戦った古戦場でもある。
主要武器はきわめて初歩の大砲十門くらいづつと猟銃少しだけで、あとは弓、槍刀が主要武器として使われた。
半日戦に浪士軍に十余、松本勢に四、諏訪勢に六柱の戦死者があり、浪士たちは、戦没者をここに埋めていったが、高島藩は塚を造って祀った。
碑には、当時水戸に照会して得た六柱だけ刻まれている。明治維新を前にして尊い人柱であった。”
(コノ辺りから進路は北東方向になる。)
142号線は、新和田トンネル有料道路の手前を左に入り、和田峠へと喘ぎつつ向かう。
(上のmapの青線の途中でflagが立っているトコロ)
左写真、谷の緑がきれいだ。
和田峠をトンネルで抜け、
右写真、下り坂になる。
ビーナスラインと交わるところでたっぷりと昼食休憩。
下写真、元気を回復し、リ・スタート。
(右手は美ヶ原高原へ向かうビーナスライン)
左写真、東餅屋(地名)に残っている餅屋(茶店)。名物「力餅」を食う。
黒曜石も買ってくれと勧められる。
地図で、東方5kmに”黒曜石原産地遺跡”との表示あり。コノ辺りで旧石器時代の石器材料、黒曜石が多く産出されたのだ。
右写真、林間の下り坂を楽しむ。
左写真、栗のみがいっぱい落ちている。
右写真、美味しそうな実が入っている。
左写真、接待茶屋(復元)。
峠越えの旅人に粥と焚火を、牛馬には桶一杯の煮麦を施したとのこと。
(江戸豪商の寄付金の利子で運営)
右写真、大出あたり。
和田宿が近い。
左写真、上町中バス停脇の「高札場跡」。
屋根付きの高札場だ。
右写真、和田宿。
左写真、「よろずや」の看板を出した酒屋。
白壁の土蔵と立派な”うだつ”が目を引く。
右写真、その酒屋さんの庭。
右手は土蔵の扉。
左写真、四つ角に復元、再建された和田宿本陣。御入門は重厚である。
右写真、本陣の居室棟。
大きくて美しい日本建築だナァ。
(内部も公開されている。)
左写真、中山道沿いの依田川の流れ。
前方は大和橋。
右写真、右手に小さな水力発電所が見えた。
長久保を通過して、笠取峠へ。
左写真、学者村はのエントランスの標識が前方右に出ている。長和町直営の別荘地らしい。町興しか?興ってないように見えるが。
右写真、笠取峠。
暑くて笠を取って汗を拭ったのだ。
前方左手は峠の茶屋。
左写真、殿を務めたnakamura氏がヘルメットを脱ぎ捨て、鉢巻を締めて登ってくる。
トラックもヒーヒー言っている。
右写真、笠取峠の向こう側。
左写真、松並木の道。
右写真、浅間山が大きく広がっている。
左写真、浅間山の噴煙が見えた。
右写真、芦田宿の本陣。
左写真、稲架(ハザ、ハサ)の向こうに浅間山。
右写真、「名主の館」との看板があった。
どうやら、武重本家酒造だったようだ。
昔は豪農で叶屋といい、酒造は慶応元年からで、大正初期にコノ辺りに来ていた若山牧水がココの御園竹を愛飲したとか。
15:45
望月、八幡と飛ばす。
左写真、長野新幹線が千曲川を渡っている。
もちろん、背景には浅間山。
16:30
塩名田を過ぎる。
右写真、コスモスの向こうにも浅間山。
左写真、夕陽の陰で記念撮影。
17:00前
信州佐久・岩村田宿の佐久ホテル泊。
正長元年(1428)の創業という。
まず、天茶アマチャで歓迎される。
天茶に自家製の”よもぎ焼酎”を注ぐと、よく合う。旨い。
天茶をお代わりするうちに、焼酎の比率が増えていった。
このホテルは、もう一度泊まりたいホテルだ。
【アマチャ】
甘茶は、ユキノシタ科の落葉低木ガクアジサイの変種であるアマチャの若い葉を蒸して揉み、乾燥させたもの、それを煎じて作った飲料。
灌仏会で釈尊像の頭上に注ぎかけるのが、この甘茶であるが、長野県佐久地方では甘茶を天神祭や道祖神祭等で御神酒の代用として使う風習があり、また、佐久市岩村田祇園祭では町内の篠澤家(現・佐久ホテル)が祭衆に甘茶を振舞う儀式を江戸時代から伝承している。
(ウリ科のアマチャヅルから作った茶も甘茶と言う事もあるが、コレは本来の甘茶ではないそうだ。)
「純」35度 1920ml エコペット アルコール度数:35度 容量:1920ml 価格:2,146円 |
【よもぎ焼酎】
”よもぎ焼酎”は、「純」(1920ml)の口からダイレクトによもぎ茶パックを10袋(30g)入れて、手抜きで造った。
乾燥よもぎという手もあるが、手軽さで、よもぎ茶パックを選んだ。
「純」(1920ml)の口は大きめなので、よもぎ茶パックを口から入れることができ、ホント簡単だった。
なお、よもぎ酒のレシピは、recipeA と recipeB を参考にした。
この”よもぎ焼酎”に急須で入れた天茶アマチャ(\350-,10g;50杯分)を足した”よもぎ焼酎”の天茶割りを晩酌に楽しんでいる。